あらすじ
冷酷非道な悪漢バーソロミュー・ボーグに支配された町で、彼に家族を殺されたエマは賞金稼ぎのサム、ギャンブラーのジョシュなど荒れ果てた大地にやってきた<ワケありのアウトロー7人>を雇って正義のための復讐を依頼する。
最初は小遣い稼ぎのために集められたプロフェッショナルな即席集団だったが、圧倒的な人数と武器を誇る敵を前に一歩もひるむことなく拳銃、斧、ナイフ、弓矢などそれぞれの武器を手に命がけの戦いに挑んでいく―。
上映日:2017年01月27日製作国・地域:アメリカ上映時間:133分
監督
アントワーン・フークア
脚本
ニック・ピゾラット
リチャード・ウェンク
出演者
デンゼル・ワシントン
クリス・プラット
イーサン・ホーク
ヴィンセント・ドノフリオ
イ・ビョンホン
マヌエル・ガルシア=ルルフォ
マーティン・センズメアー
ヘイリー・ベネット
ピーター・サースガード
ルーク・グライムス
マット・ボマー
キャム・ギガンデット
七人は、最初から英雄だったわけではない。
賞金稼ぎ。ギャンブラー。無法者。追跡者。戦士。
それぞれ別の理由で生き延びてきた男たちが、何の縁もない小さな町のために銃を取る。
『マグニフィセント・セブン』の面白さは、そんな七人が少しずつ「仲間」に見えてくる過程にある。
舞台は1879年、アメリカ西部。
ローズ・クリークという町は、冷酷な実業家バーソロミュー・ボーグに支配されている。金鉱を手に入れるためなら住民の命さえ意に介さない彼に対し、夫を殺されたエマは助けを求める。
その依頼を受けたのが、賞金稼ぎのサム・チザムだった。
チザムは仲間を集め始める。
ここから映画は、実に素直な西部劇になる。
一人増える。
また一人増える。
癖の強い男たちが現れ、腕前を見せ、七人が揃っていく。
この「仲間が集まっていく」時間そのものが楽しい。
デンゼル・ワシントン演じるチザムには、中心に立つ人間の静けさがある。
必要以上に喋らない。
銃を抜くときにも大袈裟な構えを見せない。
ただ、その男が馬に乗って現れただけで画面の重心が決まる。
対照的なのが、クリス・プラット演じるジョシュ・ファラデーだ。
軽口を叩き、カードを弄び、危険な場面でもどこか楽しそうに笑う。
そこへ南北戦争の傷を抱えたグッドナイト・ロビショー、寡黙な追跡者ジャック・ホーン、メキシコ人の無法者バスケス、東アジア系の暗殺者ビリー・ロックス、コマンチ族の戦士レッド・ハーベストが加わる。
性格も文化も戦い方も違う。
だから七人が並んだだけで絵になる。
拳銃。
ライフル。
ナイフ。
弓矢。
それぞれが自分の生きてきた時間を、そのまま武器にしているようだ。
映画は彼らを無理に一つの色へ染めない。
むしろ違っているから面白い。
ファラデーが冗談を飛ばす横でチザムは黙っている。ビリーとグッドナイトの間には、長い説明などなくても伝わってくる信頼がある。バスケスとチザムには最初から微妙な緊張があり、レッド・ハーベストは七人の中にいながら独特の距離を保っている。
七人全員に巨大な過去を背負わせ、順番に説明するようなこともしない。
ちょっとした視線。
短い会話。
戦い方。
危険が迫ったときの反応。
その積み重ねだけで、「こいつならこうする」が分かるようになっていく。
だから後半の戦いが面白くなる。
彼らは町の住民に銃を持たせ、罠を作り、迫ってくるボーグの軍勢を迎え撃つ準備を始める。
ここで七人だけが超人的に敵を倒すのではなく、昨日まで戦うことなど考えていなかった町の人間まで、自分たちの土地を守る側へ変わっていく。
町そのものが巨大な砦になっていくのだ。
そして、敵が来る。
馬が走る。
銃声が響く。
窓が割れる。
土煙の向こうから次々に人間が現れる。
静かだった西部の町が、一気に戦場へ変わる。
アントワーン・フークアは、この決戦をきれいに整理しすぎない。
誰がどこから撃ってくるのか。
次に何が起こるのか。
安全だと思った場所がいつ崩れるのか。
戦場の混乱を残しながら、その中で七人それぞれの戦い方を見せていく。
そして何より、銃がいい。
撃つ。
倒れる。
また撃つ。
装填する。
走る。
馬に乗る。
西部劇というジャンルが百年以上磨いてきた動作を、現代の速度と重量で真正面から見せてくれる。
そこにジェームズ・ホーナーとサイモン・フラングレンの音楽が重なる。
広い荒野を馬で進む人間たち。
腰に下げられた銃。
遠くに見える町。
それだけで西部劇を観ているという高揚感が立ち上がる。
この映画は、その気持ちよさを照れない。
だが、撃ち合いが激しくなるほど、最初にはそれほど重要に見えなかったことが気になってくる。
なぜ、この男たちはまだここにいるのか。
金だけなら、割に合わない。
ローズ・クリークは彼らの故郷でもない。
住民の多くとは、つい最近出会ったばかりだ。
逃げることだってできる。
それでも残る。
七人が同じ理由で戦っているわけではないところが、この映画はいい。
復讐かもしれない。
罪滅ぼしかもしれない。
友情かもしれない。
意地かもしれない。
あるいは、自分でもうまく説明できない何かなのかもしれない。
理由が揃っていないのに、銃を向ける方向だけが同じになる。
そこで初めて、寄せ集めだった七人が一つの画面に収まることの意味が変わる。
彼らを結びつけたのは、同じ過去ではない。
同じ人種でも、同じ文化でもない。
まして善人だから集まったわけでもない。
それぞれに傷があり、汚れたところもあり、それでも最後に「ここから逃げない」という一点だけを共有する。
『マグニフィセント・セブン』は、その姿を理屈より先に格好よく撮る。
それでいいのだと思う。
西部劇には、ときどき理屈よりも先に心を動かす瞬間がある。
馬から降りる。
銃に手をかける。
隣を見る。
そこに、さっきまで他人だった男が立っている。
七人は英雄になるために集まったわけではない。
ただ、それぞれの理由でローズ・クリークにやって来た。
けれど最後に残るのは、その理由ではない。
七人が横一列に並んだ、あの姿だ。
