永遠の0(2013) | 浮遊家具

浮遊家具

映画 大好き また 始めたいと思います。黄斑変性、SLE、双極性障害で仕事ができなくなり、一人、家の中にいる自分、置き場所のない浮遊して漂う家具のよう。ただ、時間だけが進んだ、治癒は進み現在に至る。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あらすじ

太平洋戦争末期。勝利を目前にしたアメリカを大混乱に陥れた、たった一機の戦闘機。「悪魔」と呼ばれたそのゼロ戦は米軍最強の空母艦隊による一斉射撃・百万の銃弾をくぐり抜け、包囲網を突破してみせたのだ。その「悪魔」を操るパイロットは、実に意外な人物であった。宮部久蔵。天才的な操縦技術を持ちながら、生還することにのみ執着し、仲間から『臆病者』と罵られた男だった…。






上映日:2013年12月21日製作国・地域:日本上映時間:144分


監督

山崎貴

脚本

山崎貴

林民夫

原作

百田尚樹


主題歌/挿入歌

サザンオールスターズ

出演者

岡田准一

三浦春馬

井上真央

濱田岳

新井浩文

染谷将太

三浦貴大

上田竜也

吹石一恵

田中泯

山本學

風吹ジュン

平幹二朗

橋爪功

夏八木勲






「生きて帰りたい」と言った男が、特攻で死んだ。

臆病者と呼ばれたほど命に執着していたのに、なぜ最後には帰れない飛行機へ乗ったのか。

『永遠の0』は、その矛盾の中に消えた一人の男を、残された人々の記憶からもう一度生き返らせていく。

司法試験に落ち、人生の行き先を見失っている佐伯健太郎。

祖母の死をきっかけに、彼は自分と血のつながった本当の祖父が、太平洋戦争で零戦に乗り、特攻で亡くなった宮部久蔵という男だったことを知る。

健太郎は姉の慶子とともに、宮部を知る元戦友たちを訪ね始める。

ところが、聞こえてくる人物像は一つではない。

臆病者。

卑怯者。

天才的な零戦乗り。

仲間を救った男。

家族のもとへ帰ることに異様なほど執着した男。

証言を聞くたび、宮部久蔵という人物が見えてくる。

しかし同時に、分からなくなる。

ここが『永遠の0』を先へ観たくさせる大きな力になっている。

宮部本人は、自分について説明してくれない。

現在にいる私たちは、健太郎と同じように、彼を知っていた人間の記憶を通してしか近づくことができない。

しかも記憶は、それぞれ違っている。

ある人間にとっての臆病者が、別の人間にとっては命の恩人になる。

見る場所が変われば、人間の輪郭まで変わる。

映画はその食い違いを少しずつ重ねながら、最初に貼られた「臆病者」という一枚の札を剥がしていく。

宮部が「死にたくない」と口にすることは、今を生きる私たちには当然に聞こえる。

だが戦時下では、その当然が異質になる。

国のために死ぬことが名誉とされる場所で、妻と娘のために生きて帰りたいと言う。

周囲が死へ向かっているとき、一人だけ生を選ぼうとする。

その姿は勇敢なのか、臆病なのか。

映画は、そこに簡単な答えを置かない。

岡田准一が演じる宮部もいい。

強い言葉で自分の信念を叫び続ける人物ではない。

むしろ静かだ。

零戦に乗れば恐ろしいほどの技量を見せるのに、その力を自分の英雄性を証明するためには使わない。

生き残るために使う。

この矛盾が宮部という人物を魅力的にする。

圧倒的な操縦技術を持ちながら、彼が目指しているのは敵を何機撃墜したかではない。

帰ることだ。

待っている妻がいる。

まだ幼い娘がいる。

その極めて個人的な願いが、国家や軍隊という巨大なものとぶつかっていく。

そして戦況が悪化するにつれ、映画の空気も変わる。

最初は大空を駆ける零戦の迫力に目を奪われる。

山崎貴監督のVFXによる空中戦は、機体の速度や距離、攻撃を受ける恐怖まで伝えてくる。

だが戦争が進むほど、その迫力を単純に楽しめなくなっていく。

飛行機が落ちる。

一人いなくなる。

また一人いなくなる。

零戦の美しい機体の中には、生身の人間が乗っている。

戦争映画の映像的な興奮と、人が死ぬことへの嫌悪が同じ画面に存在する。

その居心地の悪さも、この作品を見るうえで重要だと思う。

やがて特攻が始まる。

帰還を前提としていた戦闘から、帰還そのものが存在しない作戦へ。

ここで「生きて帰る」と言い続けてきた宮部の存在が、さらに重くなる。

なぜ彼は最後に特攻へ向かったのか。

映画の中心にある謎はここだ。

だから、その理由については知らないまま観たほうがいい。

この映画で大切なのは、答えそのものより、そこへたどり着くまでに宮部の見え方が何度も変わっていくことだからだ。

そして『永遠の0』は、過去だけを描いて終わらない。

宮部を探している健太郎自身が、現在を生きることに迷っている。

一方には、生きたくても生きられなかった時代がある。

もう一方には、無数の選択肢があるのに、どう生きればいいのか分からない現代がある。

この二つの時間がつながったとき、健太郎が調べていたのは祖父の人生だけではなかったことに気づく。

自分が今ここにいるという事実もまた、誰かが生き、誰かを守り、時間をつないだ先にある。

だから題名の「0」は、零戦の零だけには見えなくなってくる。

失われた命。

残された記憶。

そして世代を越えて受け渡されていくもの。

過去は消えてしまうのではなく、知らないところで現在の中に残り続ける。

『永遠の0』は、戦争を知るためだけの映画ではない。

「生きて帰りたい」という、ごく当たり前の願いが当たり前ではなかった時代から、現在の私たちへ届いた物語だ。

宮部久蔵がなぜ最後の空へ飛んだのか。

その理由を知ったとき、最初に聞いた「臆病者」という言葉は、もうまったく違う響きになっている。