あらすじ
大手メディア「デイリー・プラネット」で平凡に働くクラーク・ケント、彼の本当の正体は人々を守るヒーロー「スーパーマン」。
子供も大人も、愛する地球で生きるすべての人々を守るため日々戦うスーパーマンは、誰からも愛される存在!
そんな中、彼を地球の脅威とみなし暗躍する、最強の宿敵=天才科学者にして、大富豪・レックス・ルーサーの世界を巻き込む綿密な計画が動き出す―
上映日:2025年07月11日製作国・地域:アメリカ上映時間:129分
監督
ジェームズ・ガン
脚本
ジェームズ・ガン
出演者
デヴィッド・コレンスウェット
レイチェル・ブロスナハン
ニコラス・ホルト
イザベラ・メルセード
ネイサン・フィリオン
エディ・ガテギ
サラ・サンパイオ
フランク・グリロ
スカイラー・ギソンド
ウェンデル・ピアース
アラン・テュディック
ミカエラ・フーバー
ベック・ベネット
マリア・ガブリエラ・デ・ファリア
アンソニー・キャリガン
ブラッドリー・クーパー
「強い人」と「正しい人」は、同じではない。
子どもの頃、スーパーマンは無敵のヒーローだった。
空を飛び、銃弾を弾き返し、誰よりも強い。
だから悪を倒す。
それがスーパーマンという存在だと思っていた。
けれど、大人になって気づく。
本当に難しいのは、強くあることではなく、その力をどう使うかなのだ。
ジェームズ・ガンが描く『スーパーマン』は、その原点へ立ち返った作品だった。
この映画には、世界を滅ぼしかねない危機も、圧倒的なアクションもある。
しかし、それ以上に描かれているのは、一人の男が「希望の象徴」であり続けようとする苦しさだ。
スーパーマンは、誰よりも強い。
だからこそ、誰よりも疑われる。
助けても非難される。
救っても利用される。
現代は、善意さえ疑われる時代だ。
SNSでは一瞬で称賛が批判へ変わり、正義は立場によって形を変える。
そんな世界で、「それでも人を助ける」という選択を続けることは、空を飛ぶことよりずっと難しい。
映画は、その現実から目を背けない。
印象的だったのは、アクションよりも人々の視線だった。
空を見上げる人。
不安そうに彼を見つめる人。
期待する人。
恐れる人。
スーパーマンは同じ一人なのに、人によってまったく違う存在として映る。
その視線の積み重ねが、「ヒーロー」という存在の孤独を浮かび上がらせる。
ジェームズ・ガンは、この孤独を派手な台詞では語らない。
ユーモアを交えながらも、ふとした沈黙や表情で伝えてくる。
だからこそ、人間味がある。
この映画のスーパーマンは、完璧だから魅力的なのではない。
迷うから魅力的なのだ。
私は、この作品を観ながら「優しさ」について考えていた。
優しさは、とても弱く見える。
怒鳴るより難しい。
殴るより時間がかかる。
誰かを信じ続けることは、敵を倒すことより勇気がいる。
それでもスーパーマンは、最後まで人を信じようとする。
その姿勢が、この映画の芯になっている。
映像も印象深い。
大空を切り裂く飛行シーンはもちろん迫力がある。
けれど私の心に残ったのは、街に降り立ったあとの静かな場面だった。
空を飛ぶ姿は「スーパーマン」を映している。
地上で人と向き合う姿は「クラーク・ケント」を映している。
その二つが無理なく共存しているから、この作品には温度がある。
近年のヒーロー映画は、「より強い敵」を描くことに力を注いできた。
しかし、この映画が向き合っている最大の敵は怪物ではない。
「善意なんて意味がない」と諦めてしまう空気そのものだ。
だから戦いは、ビルを壊すことでは終わらない。
一人でも希望を失わせないことが、本当の勝利になる。
それは派手ではない。
けれど、ヒーローという存在が本来果たすべき役割なのだと思う。
『スーパーマン』は、「最強の男」を描いた映画ではない。
「それでも人を信じる」という、いちばん壊れやすい力を守ろうとした映画だった。
空を飛べる人間はいない。
銃弾を受け止められる人間もいない。
それでも、この映画を観終えたあと、少しだけ誰かに優しくしてみようと思えた。
もしヒーローに世界を救う力があるのだとしたら、それは拳の強さではない。
誰かの心に、「まだ人を信じてもいい」と思わせることなのかもしれない。
