ゴジラ-1.0 (2023) | 浮遊家具

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黄斑変性症 SLE 双極性障害を機に始めました 社会から逃れ家の中だけにいる自分 浮かんで漂う家具のよう 治癒は進み 今は映画 写真 大好き YAHOOからの引っ越しでコメント、いいねがまっさらになってしまいました また 始めたいと思います よろしくお願いいたします

 

 

 

 

 

 

ゴジラ-1.0 予告編

 

 

 

 

 

 

企画

 

山崎は『シン・ゴジラ』で大掛かりな水域表現などを深くやらなかったことに活路を見出し、『アルキメデスの大戦』で戦艦大和の沈没を演出した際に、CGで海の表現を作れることを実践できたという。また、今までゴジラ映画になかった、過去を主舞台とするストーリーというのは、山崎が本作品の監督の依頼を受ける前から考えていたものであり、ゴジラが日本が何も自衛できる兵器がない終戦直後の時代に登場したらどうなるのか?というアイデアを提案したといい、1954年が舞台だった第1作目『ゴジラ』よりも前の時代である1945年 - 1947年が舞台となった。(wikiより)

 

 

 

 

 

 

あらすじ

 

第二次世界大戦末期の1945年昭和20年)。敷島浩一特攻へ向かう途中で零戦が故障したと偽り、小笠原諸島に位置する大戸島の守備隊基地に着陸する。その日の夜、島の伝説で語り継がれる、全長15メートルほどの恐竜のような生物「呉爾羅(ゴジラ)」が基地を襲撃する。

同年冬、東京へと帰ってきた敷島は、隣家の太田澄子から空襲によって両親が亡くなったことを伝えられる。敷島は闇市で、彼同様に空襲で親を失った女性・大石典子と、彼女が空襲の最中見知らぬ他人から託されたという赤ん坊の明子に出会い、成り行きで共同生活を始める。

1946年昭和21年)夏。ビキニ環礁で行われた米軍による核実験「クロスロード作戦」により、その近海にいたゴジラは被曝し、体を焼き尽くされたが、それによってゴジラの細胞内でエラーが発生し、その体は体高50.1メートルまでに巨大化する。

1947年昭和22年)5月。赤ん坊だった明子は歩けるほどに成長し、典子は自立するために銀座で働き始めていた。一方、巨大化したゴジラは活動範囲を広げ、日本を新たな縄張りとすべく日本へ進行する。そして米国の艦船や潜水艦が謎の被害に遭う事態が発生し、発生場所の時期などから巨大生物(ゴジラ)が日本に向かっていると推測し、米国防省は日本政府に打診する。

(wikiより)

 

 

 

 

 

 

製作国:日本 上映時間:125分

 
スタッフ(wikiより)
  • 製作 - 市川南
  • エグゼクティブ・プロデューサー - 臼井央、阿部秀司
  • 企画・プロデュース - 山田兼司、岸田一晃
  • プロデューサー - 阿部豪、守屋圭一郎
  • 協力プロデューサー - 上田太地、山内章弘
  • チーフゴジラオフィサー - 大田圭二
  • ラインプロデューサー - 櫻井紘史
  • VFXディレクター - 渋谷紀世子
  • 撮影 - 柴崎幸三
  • 照明 - 上田なりゆき
  • 美術 - 上條安里
  • 装飾 - 龍田哲児
  • 録音 - 竹内久史
  • 特機 - 奥田悟
  • 編集 - 宮島竜治
  • カラリスト - 石山将弘
  • 音響効果 - 井上奈津子
  • 選曲 - 藤村義孝
  • 衣裳 - 水島愛子
  • ヘアメイク - 宮内三千代
  • キャスティング - 杉野剛
  • スクリプター - 阿保知香子
  • 助監督 - 安達耕平
  • 制作担当 - 横井義人
  • プロダクション統括 - 會田望
  • 音楽 - 佐藤直紀伊福部昭ゴジラ』『モスラ対ゴジラ』『キングコング対ゴジラ
  • 制作協力 - 阿部秀司事務所
  • VFXプロダクション - 白組
  • 制作プロダクション - TOHOスタジオROBOT
  • 監督・脚本・VFX - 山崎貴
  • 製作・配給 - 東宝
キャスト(wikiより)
 
 
 
 
 
評価 ★★★★★★★☆☆☆
 
 
 
 
 
 
つぶやき
 
さすが視覚効果賞を取っただけはある
ゴジラと船 人間 電車 風景 建造物
交叉する部分
どこからCGなのか見分けがつかない
非常に接近した映像
ゴジラの巨大な存在を魅せつける
今までにはない
絶大なる表現を誇っている
ゴジラ
まったく人間の武器は通用しない
今までの設定とは違い
皮膚や組織が損傷し
回復に時間がかかる
おもしろい所に目を付けた
「これなら殺せるかも」
そう思えた
ゴジラが破壊光線(原爆)
(秒読みのような背びれの隆起はいらない)
地上に落とす
放射能
膨大な熱
衝撃波
それによる被害が小さく感じた
広島や長崎に落とされた原爆
そのイメージが
この場面の表現
抑えた被害に感じた
多数の死者が出ていると考えられる
その場面が簡素過ぎる
なぜ?
表現上の道徳的問題?
 
最後に典子の無事
思わずガッツボーズ
あきこも可愛い
特攻して見事に散る結末でないのもいい