どんなに大事にしても、この子を幸せにできるか、
人間を信じてくれるか…
数日迷った挙げ句、連れてきてしまいました。

名前は豆助(まめすけ)、推定3ヶ月の男の子です。

ひと月前に交通事故にあってカラスにつつかれていた所を、ミニーのかかりつけだったクリニックで保護されました。

“Sasakiさんなら大事にしてくれると思って❗️”

耳を畳んで小さな体で“シャー💢”と怯えた顔して、ゲージの端っこでジッと見つめている子猫ちゃんだけど、

“かわいい♥️”

譲渡会とかあにまある行っても、どの子もかわいくて、結局選べない。
何かの縁を待っているつもりが、こんなに早く訪れるとは思いもしませんでした。

息子と相談して、“いいじゃない❗️豆助で”
即名前まで決まってしまいました。

まだ押し入れやクローゼットに隠れて中々出てきてくれませんが、
ご飯はしっかり食べるし元気な子です。
ミニーの分まで長く生きて欲しいです✨

2020年6月10日6時30分、ミニーは虹の橋を渡りました。
鼻腔型リンパ腫の放射線治療を受けてから二年の闘病生活でした。

あとひと月で10歳の誕生日だったのに。






家が広くなった分、心の穴も広くなった気がします。
居なくなって直ぐの時は火葬とか保険の手続きやらで忙しくて、
正直落ち込んでいる場合じゃなかったんですが、落ち着いた頃に、

“あっ、もう居ないんだった…”

窓辺で待っている姿も、
玄関まで出迎えてくれる姿も無い、疲れて帰った時はあの姿にすごく癒されたのに…💦
今では疲れて帰っても、クソ暑いなか猿がソファでふんぞり返って寝ているだけです💢

ミニーはこの家に来て幸せだったのかな?
お母さんや兄弟たちと突然離ればなれになって、手術されたり放射線治療を受けたり辛いことばかりじゃなかったかな?
近づいても逃げられないだけ、少なくとも嫌われてはいなかったと思いますが。

私たち家族はとても幸せでした。
一緒に汽車に乗って窓の外眺めたり、
車でお兄ちゃんのいた恵庭に遊びに行ったり、
何気無い日常がミニーがいるだけで楽しい事でいっぱいでした。

最後はできないことが増えて手が掛かるようになってきたけど、かわいさは変わりませんでした。
ミニーは本当の幸せ教えてくれました。

あの世でミニーが出迎えてくれるなら、残りの人生を頑張って生きていこうと思います。

9年働いていた病院を4月で退職し、今月から働き始めました。ミニーも早く働きなさいと言っている気がして。
病院とは違う仕事で戸惑いばかりですが、“最期まで家にいたい”をどうすれば叶えられるのか学んでいこうと思います。






9歳になりました(*’ω’ノノ゙☆パチパチ

リンパ腫を治療して一年経ちました。
ちょっとした不調にヤキモキしながらも、無事誕生日を迎える事ができて嬉しいです。

辛い治療を一人で頑張ってきたんだもの、きっときっと病気をはね除けて一年でも二年でも生きられると信じてます✨



出遅れましたが…

明けましておめでとうございますm(__)m

昨年は大変お世話になりました。
今年もよろしくお願いいたしますいのしし

王子と離ればなれの生活になり、夜勤も減らされて、ただ忙しいだけの、ストレスばかりの毎日な中で、1年を振り返り、日記が途中だったことを思い出した。

 

 

もう二度と来ることはありませんようにと願っていたのに、重い足取りで

5月23日 放射線科受診

朝早くのJRでミニーを連れて札幌へ向かった

汽車の中で泣いていたミニー。頭を撫でて、ずっと手をつないでいた。

 

 

他の動物病院と違う、何か異様な、独特の雰囲気。

事務員の応対も人の話聞いているのかいないのか、不快な感じ。

トイレもなまら汚いし。

 

0時から絶食してまたCT検査を受けた。後から気づいたことだけど初診で検査しているのに必要あったんだろうか?

検査の結果について説明もなければ画像も見せてもらえず、

放射線治療といっても、どのような内容でどんなスケジュールで治療が進んでいくのか、

説明は無く、

何が何だかさっぱりわからない。

 

“いつから治療しますか?”

“飼い主さんで決めてください”

以上。

 

はぁ!?

 

と~っても感じ悪っ!

 

超偉そう。

 

これが天下の北大獣医学部、アメリカで学位を取得したという、日本で数人しかいない偉いお医者さんの診察だった。

 

昭和オールウェイズの、偏屈ドクターの典型。傍にいた腫瘍科の若造も上から目線で、聞いたことしか早口で答えない。

頭のいい人たちって、自分たちが知っていることは相手も知っていて当然だと思うのかな?

ミニーもウーとかシャー唸っていた。

その横っ面思いっきり引っ掻いてやれ。

 

ここで思いっきり文句を言えたらどんなにすっきりするだろうか?


 

そんなに不満なら他へどうぞと言われるのがおちだった。

 

 

生かすも殺すも医者のさじ加減…

 

こんな言葉が頭をかすめた。

 

この偉そうな医者と対面したのは1度きり。ミニーの治療の間も一切顔を出さず、経過の説明は無し。

 

しかも治療が終わった後腫瘍が小さくなったかどうか?の再検査はされなかった。

 

え~っ!?

 

効果があったかどうか、どこでわかるの!?

 

 頭の悪い私には到底理解できない。

 

治っているかどうかもわからず、くしゃみ・鼻水が出るだけで“再発か⁉”

なんて不安でいっぱいになって、

これからどうなっていくんだろうって、

ただ切なくなってくる。

 

もし再発したら?

 

また北大に連れていくのか?

 

ちゃんと治してくれているのかわからないような病院に、たぶんもう行くことはないだろう。

最期の看取りができればと思う。

 

 

北大動物医療センターの医療水準はトップクラス、医者の態度のでかさもトップクラス。

飼い主に求められるのは、経済力と忍耐力。





ミニーはお兄ちゃんをちゃんと覚えてました。
2日間はあっという間です(^。^;)

 

5月連休前、1時間半JRではるばる北大動物医療センターへ。ニャンコを連れての手荷物片道280円、札幌駅からタクシー1150円。

 

前日の21時から絶食、人間でも辛い。

 

まず内科で診察、麻酔をかけてCTを撮る説明を受けた。

 

 

朝6時出発

帰ったのは19時

 

連休で帰省する王子と合流、ガーガー文句を言う。

そんなに退屈ならどこかへ出かければ?

先に🚃に乗って帰るっていう選択もあるのにただひたすら文句を言い続ける。

 

確かに検査が終わって4時間も待たされるのは結構キツい。

全道あちこちから患畜がはるばるやってきて、見慣れぬ土地で辛い検査・治療を受けているのだ。

私にできることはただひたすら待つことだった。

 

右側の白い影-喉の奥から細長い鉗子を鼻の奥まで突っ込んで、組織を採取。その結果で診断が下る。

どうか白でありますようにといのるばかりだった。

今年の冬から鼻水が出ていたミニー。時期的に風邪気味にしてはずいぶん長いなと思いつつ、王子の受験の忙しさにかまけていたこと、元気もあり食欲も変わりなかったので、そのまま見過ごしていた。

少しづつ病魔が蝕んでいることも知らずに…

 

咳が出始め、なんとなく息が荒い。

くしゃみと共に豪快に血の混じった鼻水がダラーンと右の鼻から垂れ下がっていた。

さすがにヤバいと思い、即行受診。

 

右目の涙目になっていたが、以前にも涙管が閉塞したことがあり

大して問題にしていなかった。受験が落ち着いたら病院へ連れていこうか…そんな感じで。しかし、

 

獣医からこんな言葉が。

 

“北大で精密検査を受けてもらいたいんですけど…”

 

 

 右側だけに鼻汁や涙が出ていること、出血をしていることを指摘。

鼻の中にでき物が右目の涙管を圧迫しての症状だったのか?

だけど、片側だけ鼻水が出る、鼻詰まりがするってことは人間でもよくあることではないのか?

 鼻水にしてもガン特有の臭いはしないし、顔も綺麗なままだけど…

 

 ニャンコを連れてJR1時間半、大丈夫か⁉

 

不安を抱えたまま過ごすより、しっかり診断をつけてもらって、然るべき治療を受けた方がミニーのためにいいのかもと思い、受診することにした。

 

北海道は87日が七夕です。

愛猫ミニーは712日に8歳になりました。

 

今まで大きな病気したことがなかったミニーが

鼻の中のリンパ節に腫瘍ができ、放射線治療を受けました。

 

生きた心地がしなかったこと。

治療が終わった後も不安ばかりが大きくなっていたこと。

 

今までの生活を振り返りながら、

何ごと無い日常が一番の幸せだということに気づかされました。

 

 

いつまで一緒に過ごせるのだろう?

いつまで抱きしめることができるのだろう?

 

 

そんな思いの中で生活していますが、ミニーは至って元気です。

 

 

1年でも2年でも、もっと長くてもいい

窓辺にいる姿を見ることができますように…(-人-)