ジョゼフ・メリックの頭蓋骨 です | ドゥカのほそ道

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愛車ドゥカティを切った貼った削った?等イタズラをした記録みたいなものを書いていこうかと思います。作業は遅々として進まないので更新は少ないかもしれないですが完全自己満足ですのであしからず。日常にあったことも徒然なるままに書くこともあると思うのでよろしくです。

エレファントマンと呼ばれ、実在した人物をご存じだろうか?

ジョゼフ・ケアリー・メリック(Joseph Carey Merrick1862年8月5日 - 1890年4月11日)は、ヴィクトリア朝時代のイギリスで、今日では主にプロテウス症候群が原因と推測されている身体の極度な変形、膨張から「エレファント・マン」(The Elephant Man)として知られた人物。

彼を最初に診察した医師フレデリック・トレヴェスがまとめた回想録を基に作家のバーナード・ポメランスが戯曲にした事から世に広まり映画化され、広く知られるに至った。

ウィキぺディアより

 

さらに詳しい情報:ジョゼフ・メリック

 

 

メリックは生前、自分の遺体を保存し病気の原因を解明してほしいと言い残しており、120年以上の時を経て現代医学がその遺言に挑み、「エレファント・マン」の病気は「プロテウス症候群」の可能性が高いとのことが解った。

メリックの死後、王立ロンドン大学内に博物館(クイーン・メアリー大学医科歯科学部管理)が設置され生前に使われていた帽子や椅子やメリックが作った建物模型などが保存されている。

 

なお骨格標本は普段は展示されていないとのこと。

 

皮膚の標本もあったらしいが、第二次大戦のどさくさで紛失してしまったらしい。

 

 

優しい青年だったそうだから、これ以上生きてることができなくなったのだろうか。

 

映画の中では横になって普通に寝ると、頭に水が溜まって脳を圧迫して死んでしまうため、イスに座るような彼独特の就寝方法で寝るしかなかったところを、模型も完成したし、人間らしく扱ってもらい、幸せの絶頂で終わらせるために、敢えてクッションを外し、人間らしく寝て人生を終わらせたかったのかもしれない。

 

1890年4月11日、身体の衰えが進んでいたメリックは、昼頃になっても目覚めないということが日常的になっていた。メリックの係りをしていた看護師のアイアランドが、当日の午前中に身の回りを世話をしているが、特に変わったことはなかったという。同じく当日の午後1時頃、メイドが昼食をメリックのもとへと運び、好きな時間に食べられるようにと準備をしている。その後の午後3時頃、研修医のホッジスがベッドで仰向けに寝たままの姿勢で亡くなっているメリックを発見した。ベッドの側に置かれている昼食には一切手がつけられておらず、全て残されたままであり、ホッジスは先輩のアッシュの立会いを求め、この二人によってメリックの死亡確認がされた。享年27歳だった。

 

と実際の死はこんな感じだったらしい。

 

自分の世代だと中学生の頃にこの映画がやっていて、テレビ放送の1度だけ見たことがあるが、声を国広富之(くにひろ とみゆき)が演じ「僕は人間なんだー」と魂の叫びと、ラストシーンが悲しくて押し潰されそうになったのを覚えている。

 

そういう時代だったと言えばそれまでなのだが、施設では粗末な食事と劣悪で不衛生な環境だったり、平然と見世物にされたり、上流階級のオモチャにされたり、虐げられた壮絶な人生だったのは容易に想像できる。

実在の人物なのは知っていたが、こうして骨格標本として残されてるのは知らなかったので、これらの写真を見て驚いた。

 

この前24時間テレビが終わり、感動ポルノと揶揄されてたりしたが、こういう障害もあるんだと周知させるのは良い事だと思うが、反面、見世物にしてたり食いものにしてる気がして嫌な気分になるのも確かだ。

 

事実、障害者に暴力をふるう、あってはならないシーンが流れてしまったようだし。

 

なんだかメリックがいた時代と大差ない気がしてしまう。

 

興味が湧いた人は一度映画「エレファントマン」を見ていただきたい。

 

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