今日『ヤマトタケル』松竹座20日の公演が終わりまして

残すところ千穐楽まであと3日5公演となりました。

隔月とは云え4ヶ月の公演のとりあえずのゴールが見えて参りました。


今月の17日は坂東竹三郎さんの3回忌のご命日。

休演日でしたがその日は各自予定がありそうでしたので
それを見越してお稽古期間中にお寺までみんなで伺いました。

この模様は先日のブログにアップさせて頂いた通りです。

まだ私が関西で歌舞伎に入りました当時は上方在住の歌舞伎役者さんも
数多くおられました。

現在、東京在住の私が申し上げるのも気が引けますが、
竹三郎さんが亡くなられていよいよ上方在住の歌舞伎役者さんが
居られなくなりました。

竹三郎さんとの思い出は尽きませんが、猿翁旦那のおもだか旅行会でも
演目で何回かコンビを組ませて頂きました。

初めてのコンビは1979年の熱海金城館で行われました、
歌謡浪曲、三波春夫さんの『大忠臣蔵』の通しの時。

「小平太懺悔」と云う曲で竹三郎さんの毛利小平太で私のお袖(笑)

討ち入り当日に血を吐いて討ち入りに参加できなかった小平太と
許嫁のお袖の舞踊です。

また2015年明治座の『男の花道』では急病になられた竹三郎さんの替りに
加賀屋東蔵のお役を最後の4日間、勤めさせて頂きました。
これは緊張しましたね(笑)

1998年9・10月松竹座での『ヤマトタケル』では
竹三郎さんの尾張の国造に私の妻。

このコンビは私事ながらベストコンビだと勝手に自負しております(笑)
1995年の新橋演舞場版は猿翁旦那の『ヤマトタケル』として

NHKで放送されました。

思い出は数え上げたらキリがありませんが、今回松竹座での
『ヤマトタケル』は竹三郎さんとの思い出がいっぱい詰まっております。

もうご一緒する事が出来ないかと思うと本当に寂しいですが、
いろんなお芝居を教えて頂いた事は私の財産になっております。

今頃はあちらでまた父と再会している事でしょうね。