先日書かせて頂いたブログ「伊勢音頭の舞台」の続編の様な形ですが、
伊勢神宮の外宮から内宮へ向かう参宮街道の古市。

 

本来なら、外宮方向より内宮方向に行きますのが、正しいのかも知れませんが、

宇治山田駅からある程度までバスで向かいまして、そこから再び宇治山田駅方向に

歩くと云う方法を取りました。

 

というよりも、そう計画されてました。

なんでだろうと思ってましたら、バスで通って納得。

外宮→内宮に進む伊勢の参宮街道、途中ものすごく上り坂なのです。

 

なるほど・・・

と云う訳で、「伊勢古市参宮街道資料館」近くのバス停から出発しました。

この界隈は、17世紀以降には遊郭や芝居小屋、旅館が並び、伊勢随一の歓楽街

だったそうです。


油屋の跡地は残念ながら近鉄電車の走る路線となったために
その面影を見る事はできませんでした。

碑が線路わきに建っているだけです。

油屋と並んで、大きな妓楼の一つであった備前屋も、今は碑が残るのみです。

 

また、伊勢の歌舞伎は江戸、大阪、京都に次ぐ先進地域だったとか。

この古市には「口の芝居」のちに「長盛座」という小屋があったと云う事ですが、

こちらも今は碑が残るだけです。

 

前日に倭姫宮を訪れました際に、近くの神道博物館と云う所も訪問いたしましたが、

こちらには、伊勢歌舞伎で貸衣装やをしていた「千束屋」の資料が多くありました。

 


古い街道の雰囲気はあるのですが、残念ながら当時をしのばせるような建物は

ほとんど残っておりません。

大火や戦争で焼けてしまったそうです。


しかし街道沿いに1軒だけ昔は妓楼で今は旅館となっている建物がありました。
麻吉旅館、






『伊勢音頭恋寝刃』の油屋を彷彿させてくれる古風な建物でした。



渡り廊下もあり、ここで「伊勢音頭」も踊れそうです(笑)

 

坂道に沿って6層にもなっている建物。

実はここに泊まる事も計画にあったそうなのですが、千穐楽後の移動でしたので

交通の便と時間ともろもろを考慮して、ボツになったそうです。

 

少し泊ってみたい気も致しました。

泊らないと内部の見学は出来ないそうです。

ですが、外観だけでも一見の価値はありました。




先に訪れました「伊勢古市参宮街道資料館」の中に伊勢音頭の詳しい説明がありました。




昔の油屋の浮世絵、伊勢音頭を踊っている場面ですね。

古い写真・・・と云うよりもおそらくお土産用の絵葉書。



資料館の中には御園座顔見世『伊勢音頭恋寝刃』の勘九郎さんの

過去のポスターなどもありました。



私も2005年8月坂東三津五郎さんの『伊勢音頭恋寝刃』の時に

踊り子のひとりとして出させて頂いた事がありました。




この浮世絵に描かれてある踊り子の衣裳でしたね(笑)

「ハイ踊って」と云われて「なんでやねん」と云いながらもつい踊ってしまうのは

役者のサガでしょうか・・・


そしてこの近くのお寺、油屋と隣り合わせにあったという大林寺には

『伊勢音頭恋寝刃』の モデルとなったお紺と孫福斎(まごふくいつき 福岡貢のモデル)

の比翼塚がありました。

 

 

お紺の方は1829年に坂東彦三郎により建てられ、その後1929年に斎(貢)の

方が二代目実川延若により建てられたそうです。


あくまでもこの二人は歌舞伎のモデルであって

史実ではお話がだいぶ違うそうです。

お紺は馴染みの遊女ではあったものの、恋仲だったわけではなかったとか。

斎はその後自殺しておりますが、お紺は49歳まで生きたそうです。

 

思った以上に芝居町であった事で歌舞伎との縁があり、

今に至るまで、人気の演目となっている『伊勢音頭恋寝刃』の地でありました。

 

さらに、架空の話ではありますが、『東海道中膝栗毛』で弥次さん喜多さんも、

物語の中で実際にあった旅館などを訪ねている設定になっているとか。

 

伊勢には神宮以外にも、なじみの深いところがたくさんありました。

実際に地元に立つとなんだか その時の息吹が感じられる様でした。