先日の旅行、中一日は本当は少し離れた所にある日帰り温泉に行くつもりでした。

某映画でもロケ地になったと云う 広い露天風呂が数カ所あるところで、

湯浴み着を着て・・・と云う形式。

 

ところが当日は雪予報。

現地に行ってから考えようと思いましたら、10センチを軽く超える積雪。

湯浴み着で露天風呂はギリギリOKでも、渡り歩くのは寒すぎるかもと断念。

 

 

それならと、急遽作成したプランでの沼田見学になりました。

 

戦国時代の真田信繁(幸村)の兄 真田信之の居城 沼田城。

信之は本来、父の真田昌幸の幸の字をとって信幸と名乗っていました。
しかし関ヶ原の合戦の時、石田三成方についた父 弟と袂を分かち
家康に組しました。 その時に幸の字を之に変えたと云われております。

沼田城はその真田信之の居城でしたがその前から武田氏、上杉氏、北条氏などの
要害の地として何度も取ったり取られたりを繰り返されている城なのです。

当時、武田信玄方であった上田城の真田昌幸は北の上杉謙信からの守りとして
このあたりを任されておりました。

物語としてはよく知っている越後、 信濃、甲斐、関東の要の地として
みんなが欲しがった土地。

今回、沼田へ行きまして、実感し、さらに歴史資料館へ行ってみて

その理由がよくわかりました。

 

 

 

沼田駅

 


沼田駅から見た沼田城跡方面。



旗印の横に見える小高い丘が沼田城跡(沼田公園)のあるところです。

この場所、下から上へあがるとなんと80メートルの高低差。


ハワイのダイヤモンドヘッドが登山口からの高低差が171メートル

約半分の高低差をくるくる回らず数折でのぼる


無理!

普通に小高いところにあるのはどこのお城でも特徴ですが・・・。

ここ沼田城はこう云った土地関係なのです。




(ジオラマの高低差はわかりやすいように距離の三倍の比率で作成されているそうです

 このままでしたら、さすがにクライミングになってしまいますね)

街道沿いに沼田駅があり、突き出した小高い丘一帯に沼田の城下町があります。
つまり城下町そのものが城の中にあるようなもの。

JR(当時国鉄)の上信越線を敷く時、沼田駅をどこにするか?
どうしてもこの80メートルの高低差に費用と工事が難点で
下の街道沿いにせざるを得なかったそうです。


私も地図で見る限り駅から沼田城まで1キロもなかったので、

歩くか?と思っておりました。

ですが、ちょっと調べた家人が(いつもなら絶対に歩くと云う家人が)

「バスや!」と

 

その理由はバスに乗ってすぐにわかりました。

 

駅からまっすぐに伸びている道がまず坂道です。

「雪の中これはきついよなあ」と思っておりましたら、次に現れましたのが

その坂なんて 全く比でない急こう配。

バスに乗っていても感じる この高低差を登る様子は、
ゾッとしました(笑)晴れていてもこれは無理だ・・・と。

沼田城公園から駅を見ますとこんなに高いのですから・・・。

 

ですが、一度歴史資料館にたどり着きましてからは 普通の城下町に付き物の

そこから所謂天守閣までの勾配が全くないのは、助かりました。

雪が積もっておりましたので、少しでも大変だったと思います。

 


この沼田の地は関東から越後への重要な地点。

なるほど土地の因果関係と戦いの原因は
その土地へ行ってみないとわかりませんね。

 


いくら映像で見ても、地図で見てもこの高低差は実際に行ってみないと

実感できません


沼田市が独特の要害の場所であることがよくわかった今回の旅行でした。


もし、沼田に行こうかなと思われた方がおられましたら、

駅からはバスに乗るか、覚悟を決めて歩き始めてくださいね。

晴れててもう少し若ければ(笑)私も体感したかったです。