先日、みなかみ温泉の中の日に観光で訪れました雪の沼田市、
実は沼田には少し思い出がございました。

以前にも書かせて頂いた事がございますので一度読んだと思われる方が

居られるかもしれませんが、お許しください。

 


今からもう40年ほど前になりますか?

当時の竹本の三味線の名人、豊澤重松さんに請われて沼田歌舞伎に
招かれた事がございました。

見に行ったわけではなく地芝居の演目に出演したのです。

沼田は昔から沼田歌舞伎として地芝居の盛んなところで、
お名前はちょっと忘れたのですが、沼田では名門の方の
襲名披露公演がありました。

舞台も地元の小さな歌舞伎舞台ではなく、文化会館だったと思うのですが、
大きな劇場でした。

そこで『太閤記十段目』を上演するので光秀の一子、十次郎を
勤めてくれないかとのご要請でした。

襲名されるお兄さんはもう一つの演目の『菅原伝授手習鑑 寺子屋』の松王丸を
妹さんは『太閤記十段目』の十次郎の許嫁の初菊を勤められ
座頭であるお父様が武智光秀のお役でした。


ちょうどその頃、私は上方歌舞伎勉強会の『若鮎の会』で十次郎を
勤めさせて頂いたところでしたので私に白羽の矢が立ったのです。

重松さんが猿翁旦那に「延夫を十次郎に貸してください」と申し込まれ
「うちの弟子の誰かじゃダメなの?」
「いや、お弟子さんで十次郎のできる人が今居れば・・・」
「・・・じゃあ、延夫で・・・」と云う話があったと云うのは
あとから重松さんから聞きました。

 

当時私はまだ猿翁旦那の弟子ではありませんでしたので、

ご自身の弟子から、と思われたのでしょうね。

この会話、旦那の声でありありと再生されます(笑)




沼田に伺いましてお稽古に入りましたらみなさんとても本格的な演技で
まるで歌舞伎座で上演するかの如くで驚きました。

妹さんの初菊はとても素晴らしく、お父様の光秀もすごく立派で
地芝居とはとても思えないほどでした。


私も負けずにお芝居に参加させて頂いた事はいい思い出で今でも覚えております。



1日だけの公演でしたが『太閤記十段目』の出番を終え客席から次の演目の
『菅原伝授手習鑑 寺子屋』を見せて頂いたのですが、
その時の思い出は長くなりますので明日つづきを書かせて頂きます。

 

この公演、私のご贔屓さんがお二人、わざわざ沼田まで見に来てくださいました。

公演後だったか、翌日だったかちょっと記憶が怪しいのですが、

一緒にどこかに観光に行った事を覚えております。

 

どこに・・・全く記憶にございません!!

 

ただ、天狗・・・天狗があった のみ!

 

一体どこだったのかなあと思っていたのですが、今回沼田駅に着いた途端に

長年の疑問が氷解いたしました。

 

駅の構内に どどーんと天狗が

 

沼田、天狗、迦葉山弥勒寺 ここだ!!・・・多分

 

バスで40分。

雪でなければ、最初からわかっていたら行ったかもしれませんが、

今回は断念しました。

 

40年前はバスで40分もかけた覚えはありませんので、

タクシーだったでしょうか。

 

懐かしの沼田で 懐かしい思い出の場所を発見した旅になりました。

近くには他にもまた行きたいところもありますので、

今度は暖かくなってから再訪ですね。