昨日、新橋演舞場の『ヤマトタケル』の千穐楽を終え
今日はのんびりした1日を過ごしております。

朝はゆっくり寝るつもりがどうしてもいつもの時間に目が覚めてしまい
「もっと寝たいのにな~」と云う気持ちでしたがその分、
午前中、午後と暖かい部屋でうたた寝の様に眠りに落ちて
昨日までの辛さが嘘のようです(笑)


休演日や千穐楽後の数日は、ついつい時計で今どのくらいの場面かを

確認してしまいます。

「顔する時間か」とか「一幕あいたな」とか。

 

今朝も、ふと時計を見ますと11時2分ごろ。思わず「おはよぉございます」と

寿猿さんの老大臣のセリフを呟いてしまいましたら、続けて家人が

「纏向の春は麗しく・・・」と次々に台詞を云います。

帝のセリフも済み、どこまで続くねん・・・と思いましたが、さすがに

「わかったわかった、私が悪かった」とストップをかけました。

 

しばらく聞きたくない・・・(笑)

そう云えば、前回の休演日も 11時に幕開きの音楽を歌われて

「やめてくれ~」と懇願しましたっけ(笑)




話は変わりますが昨日の1幕5場の熊襲の場面で錦之助さん扮する熊襲弟タケルが
團子さん扮する小碓の命(のちのヤマトタケル)と立ち回りで相対した時、
千穐楽ですので気合いで「ちぇーすとー!」と洒落の掛け声を入れ事されました。

この掛け声を巡って1幕が終わってから、笑子さんが部屋へ来て
喜猿さんに聞いていました。

「喜猿さん ちぇーすとー と云う掛け声知ってる?」と
喜猿さんは「いや知らない、なんであんな声出したのか・・・?」

笑子さんは私にも聞き「猿三郎さんは?」と・・・。

私は「知ってるよ、確か薩摩示現流の気合いの声(諸説あります)じゃなかったかな?」

「よかった、知ってる人が居て・・・」と

よく聞いてみると、熊襲の民衆の男女や兵士たちの若い人たちはみんな
「なに? ちぇーすとーって?」「なんであんな声出したん?」と
みんな訳が分からず知らなかったようです。

誰だったら知っているだろうと、心配になった笑子さんが聞き回っていたと。


そうか、今の若い人、時代劇は殆ど無いし、好きでなければ時代小説も読まないから

示現流の掛け声知らないんだ。

 


錦之助さんの奥様は鹿児島生まれでご子息の隼人さんは「薩摩隼人」から
そのお名前を付けられました。

熊襲は鹿児島とも熊本とも云われておりそのご縁の入れ事だったのですね。

(時代の違いは考えてはいけません)

ある説では「考えるな、感じたまま動け、一瞬にかけよ、」と云う意味で
「知恵を捨てよ」が「ちぇーすとー」となまったとか・・・。

せっかくの錦之助さんのご縁のある深い面白い千穐楽の入れ事も
若い人たちが理解できないとは・・・時代と云うものでしょうか。

疑問に感じた何人かでも、誰かに聞いたり調べたりしてくれたら

いいのですが。

そして、次に何かで聞いた時には ああ、あれあれと思えればいいのですが。

千穐楽ご観劇下さったお客様はどこまでお分かりでしたでしょうか?(笑)