今日の読売新聞27面の文化面一面に中車さんの談話が掲載されておりました。
 
現在の『ヤマトタケル』の公演の中車さんと團子さんの事から
猿翁旦那との確執、さらに触れにくいであろうご自分の過去の不始末や
猿之助さんの事まで詳しく書かれてありました。
 
 
中車さんが猿翁旦那とまだ疎遠の時に巡業先の会館の楽屋まで来られた事は
私もしっかり覚えております。
 
猿翁旦那はなかなかお会いにならず昼の部の『吉野山』が終わって
夜の部の『四の切』の間に会われ「あなたは息子じゃない」とおっしゃり
中車さんが泣きながら帰られた事。
その後の『四の切』の舞台で父母との情愛を語る源九郎狐では
舞台で思い切り泣かれたであろう猿翁旦那のグチャグチャに崩れたお化粧の顔。
そんな旦那の顔は 私は初めて見ました。
 
やはり凄い思いがあられたのでしょうね。
中車さんから見られたご自分の感想も書かれてございました。
 
 
その後の猿翁旦那と中車さん、和解された後日談は皆様ご存知のとおりです。
 
今回の『ヤマトタケル』の帝と小碓命の関係は疎遠であった時のお二人を
物語っているのでしょうか?
 
中車さん(帝)と團子さん(ヤマトタケル)のお芝居にその時の思いが
オーバーラップしてしまいます。
 
昨年5月の明治座公演『不死鳥よ波涛を越えて』の時の猿之助さんの事件、
團子さんが急遽代役を勤められた経緯も書かれてありました。
 
 
今日、記事の中にあります略年表を見まして、旦那がお倒れになった年の
ちょうど次の年に團子さんが生まれた事を認識いたしました。
ふと、團子さんの生年月日を調べて見ましたら、1月16日生まれ。
旦那が降板されたのが、2003年11月17日。本当に2ケ月後。
 
 
今、新橋演舞場で『ヤマトタケル』の公演が團子さんを中心に行われております。
 
猿之助さんの『ヤマトタケル』の時にワカタケル役で初舞台を踏まれた團子さん
猿之助さんの『義経千本桜』の「安徳帝」での初舞台の時も私はご一緒させて頂きました。
 
 
私はおもだかやに起こった様々な出来事、その場に居合わせた事
誠に奇縁だと思います。
 
そして今再び『ヤマトタケル』の舞台に立たせて頂いて居ることのありがたみを
噛みしめております。
 
今日の読売新聞、もしお読み頂けたら幸いです。