昨日、国立劇場の閉場式が行われ、これで本当に

すべての国立劇場での行事が終わってしまったのですね。

 

ひとつの劇場がなくなるだけでとても寂しくなります。

 

 

 

昨日の続きですが、1996年2月国立劇場にて猿翁旦那の自主公演、

第8回「春秋会」が開催されました。

第1回「春秋会」は1966年7月に東横ホールにて開催されまして、 
それから第7回までは私は存じ上げません

1993年からの「右近の会」につづいて猿翁旦那も1996年

途絶えていた春秋会を再開すると私たち一門に伝えられました。

それから2000年までの5年間、「春秋会」という所謂猿翁旦那の自主公演

こちらもすべて出演させて頂きました。

 


この「春秋会」公演は猿翁旦那が今まで縁が無くて勤めて来られなかったお役、

埋もれていた作品の上演、また苦手とされていた演目にあえて挑戦する、

と云う事が目的でした。

これは私の想像なのですが「右近の会」に触発されて猿翁旦那の歌舞伎への挑戦の虫が
うずき出して来ていたのではないでしょうか?(笑)
そんな気が致します。



1996年から2000年の毎年2月に上演されました演目は

1996年 「梅雨小袖昔八丈」「京鹿子娘道成寺」
1997年 「双蝶々曲輪日記」「女伊達」
1998年 「摂津州合邦辻」「茨木」
1999年 「瞽長屋梅加賀鳶」 別日で「漁師」「大江山酒呑童子」「廓文章」
2000年 「水天宮利生深川」「日本振袖始」

いずれも猿翁旦那初役で通し狂言ばかりです。

私は

「梅雨小袖昔八丈」の白子屋若い者千助、「京鹿子娘道成寺」の所化
「双蝶々曲輪日記」の平岡郷左衛門、「女伊達」の若い者
「摂津州合邦辻」の腰元小萩 講中おまき
「瞽長屋梅加賀鳶」の茶屋娘おやま、加賀鳶妻恋音吉、手代太助、
講中伊兵衛、捕り手の手先
「大江山酒呑童子」の碓井靭負丞貞光、「廓文章」の若い者延次
「水天宮利生深川」の萩原門弟伝八 質屋番頭治兵衛
「日本振袖始」の村人

を勤めさせて頂きました。

いずれも前日まで軽井沢のお稽古場でお稽古がつづいておりましたが、

昨日も書かせて頂きましたように、国立劇場のお稽古で夜の9時を回る事は金銭的に問題が・・・

必死に9時までに終わらせようと みな頑張りましたが、

確か、舞台稽古の時には越えて超過料金を払わらずを得なかったことも

あったと思います。

 


軽井沢でのお稽古の時でしたが、猿翁旦那があえて苦手な女形の舞踊の大作

「京鹿子娘道成寺」のお稽古の時、ひと通りのお稽古が終わってからも

お稽古用の衣裳を着られて花子の踊りを 何回も繰り返し踊っておられたのには

感心しました。


こちらも前に書きました私たちの七福神の演目の時
「うまく踊るのではなくて、何回も繰り返し踊り込むことが大事」と
おっしゃられたお言葉そのままにご自身も実践されておられました。

やはり一芸に秀でたお人は自らへの糧が大きいのだと改めて感じました。


猿翁旦那がこれまで本公演で勤めておられなかった演目ばかりでしたが、
その後「瞽長屋梅加賀鳶」だけは歌舞伎座と松竹座とで本公演が決まり
2ヶ月上演されまた国立劇場での公演はテレビでも放送されました。

「瞽長屋梅加賀鳶」での私は、まあ幕が開くとほとんどの場面に早ごしらえで
娘から鳶、手代、講中、手先と出ておりまして、大忙しでした。

猿翁旦那は加賀鳶の梅吉と道玄と死神の三役でしたが、
今までこのお役をされておられなかったことが逆に不思議でした。

質店での加賀鳶の松蔵(歌舞伎座は段四郎さん 松竹座は梅玉さん)と猿翁旦那の道元のやりとり、
さらに雷五郎次(坂東吉弥さん)に憑りつく猿翁旦那の死神は絶品でした(笑)


私は人の少ない春秋会だからと あえて引き受けた早拵えの何役かが、
会社からも本公演でそのまま回って来まして困りました。

と云いますのはあまりにも出すぎだからです。
鳶の妻恋音吉で花道の居並びから出て、引っ込むと次の幕開きに
質店の手代で出てひと幕中、幕切れまで出ておりました。

幕間になりますと早拵えでお役が変わり、次に幕が開くと講中の伊兵衛で舞台に立っております。
その場面が終わりますとさらに道玄の捕物で下っ引きに出ております。
さすがにお客様から「この人、また出て来たワ」と指を差され

照れくさい思いを何回も致しました(笑)

だからお役を頂いた時困ったのです、こうなると分かっていたから・・・(笑)
歌舞伎座ならそんなにお分かりにならないかと思いますが、
松竹座の公演でしたから舞台と客席が近いですからね。

何度も別のお役で出ているのがばれます(笑)

 

ですが、この5年の春秋会の公演の中で、何が一番印象に残っているかと云えば

やはり「瞽長屋梅加賀鳶」です。

花道の鳶のつらねの台詞は とても緊張しますが、気持ちいいです。

 

春秋会でなければ、それに続くおもだかやの公演でなければ、

このつらねの鳶は 私たち名題には絶対に回って来る事はありません

貴重な経験をさせて頂いたと思っております。



その他、「双蝶々曲輪日記」「摂州合邦辻」「水天宮利生深川」などもこの時以来
通し狂言としての上演はされていないのではないでしょうか?

いずれにしても貴重な演目で私たち一門も貴重な経験をさせて頂きました。