今月の26日が千穐楽でそのお役目をすべて終えた国立劇場。

コメント欄でも私の国立劇場の思い出は・・・? 
と云うリクエストがございました。

そこで私の国立劇場の思い出を書かせて頂きたいと思いますが、
1回ではとてもとても全然書ききることなどできる筈もなく、

数回にわたってその思い出を書かせて頂きます。


国立劇場が開場いたしましたのは、1966年11月の事です。

その年の10月には、東京の帝国劇場に1ヶ月出演しておりました。

 

帝国劇場の楽屋からは皇居越しに国立劇場が見えまして、

「来月国立劇場が開館する」と話題に上っておりましたのも覚えております。

 

目の前で作られるのを見ていた国立劇場でしたが、私が初めて国立劇場の楽屋へ

入りましたのは、その時から10年もの時が経過しておりました。

 

 

1976年4月の「金門五三桐」の時のことです。

実川延若さん 二代目鴈治郎さん 十三代目仁左衛門さん 坂田藤十郎(扇雀時代)さん
中村富十郎さん 先代雀右衛門さん と云った上方に所縁のある役者さんが並んでおりました。

私は藤十郎さんのお手伝いをしており岡持ちを持って舞台と楽屋を
行き来しておりました。

従いましてこの時はまだ舞台には立っておりませんでした。

初めて国立劇場の舞台に立たせて頂いたのは さらに15年近くが経過いたします。

1990年6月、高校生のための歌舞伎鑑賞教室で
段四郎さんの弁慶、歌六さんの富樫で「勧進帳」が昼夜2回上演されておりました。

私は番卒の2番目平内でした。

そして同じく「歌舞伎の見方」では立ち回りの紹介で女形の立ち回りで
段之さんのお初、私は岩藤で「加賀見山旧錦絵」の奥庭の場面を勤めさせて頂きました。

実ははじめ国立劇場から頂いた提案は段之さんの岩藤で、私がお初と云う配役でしたが、
「これはお役が逆ではないでしょうか?」と私が申し上げたら国立の方も「それはもっともですね」
と了承して下さり前期の配役となった経緯がございます。

国立劇場の初舞台が岩藤と云うのもありがたい事でしたね(笑)
と云うよりも、逆の配役のままだったらどうなっていたでしょうね(笑)



その後、本公演では猿翁旦那の1996年「四天王楓江戸粧」2003年「競伊勢物語」に
出演させて頂きました。

「四天王楓江戸粧」では江戸時代の上演方法が用いられ開演前の番立てとして三番叟、
開演の脇狂言として七福神を模した「福祭り」が上演され、私はえびす天を模した夷三郎でした。
そこから本編である「序開き」からお話に入りお芝居は昼夜に渡る通し狂言と云う古風な上演方法でした。

この前月、軽井沢で脇狂言の踊りを猿翁旦那にご指導いただき、出ている七人に
「ことある毎に踊っていなさい、うまく踊るより踊り込んでることが大事だから・・・」と
厳しいご指摘を頂いたていた事もいい思い出です。

つづく本公演「競伊勢物語」 も前月20日くらいからお稽古が始まりました。
歌舞伎座ではこれより以前に2回ほど上演されてましたが、通しで上演されたのはこの時初めて。
このお芝居も古風な造りで国立劇場で1回だけしか上演されていない貴重な作品です。


どこのお家でもそうなのですが、国立ならではの演目、上演方法。

貴重な作品が多い国立劇場での おもだかやの本公演でした。

 

もう少し続きます。