先日まで「あまちゃん旅」の楽しさだけを書かせて頂きましたが、
実際現地に行くと楽しかった事ばかりではありません

今日のブログは書かせて頂こうかどうか、だいぶ考えたのですが、やはり・・・
と思い・・・書かせて頂きました。

 

ただ楽しい思い出の最後に書かせて頂く事は控えさせて頂きました。

ですから少し日をずらして・・・。

今日の内容は、東日本大震災の事に触れております。
もしお辛いと感じられる方は、お読みになられるのをご注意ください。



10年前に「あまちゃん」が放送されていた時、実は私たちが乗った
三陸鉄道北リアス線はまだ全線が繋がっておりませんでした。


劇中で描かれておりましたのと同様に、わずか5日後に久慈ー陸中野田が運転再開。
3月20日に宮古ー田老、3月29日に田老ー小本が運転再開。
翌2012年4月1日に陸中野田ー田野畑が運転再開。

2013年、あまちゃんが放映されていたまさにその時にも、
(岩泉)小本~田野畑がまだ不通。
この駅の間にある 島越駅が駅も線路も無くなってしまっておりました。


「あまちゃん」の放送時も劇中でおそらくこの場面と思われる所がございました。

実際の場所と一致している訳ではありませんが、おそらくここかなと想像できる場面。
ユイちゃんが立ちすくんだ場所、島越駅はまったくその景観がなくなっていました。

ここばかりではありません至る所でその被害が・・・。


私たちも三陸鉄道の列車の中から色んな海岸線を見せてもらいましたが
高い防潮堤のそばはただ広い野原が広がっていただけ・・・。


田老駅はその被害をもっとも受けた所だそうで当時10メートルの防潮堤を越えて
津波の高さは18メートルまで達したそうです。




島越付近も もっとも高い津波到達地点はなんと25メートルを越えたそうです。






ここも震災前はおそらくにぎやかな町でたくさん住んで居られた方が居た筈の場所。
そこを通過する時、なんとも絶句いたしました。


そして先日、掲載させて頂いた田野畑の昭和的な旅館、羅賀荘も
海岸沿いとは言え、少し高台に建っているにもかかわらず、ここの3階までは
津波の影響で波に浸かったそうです。

 


2日目に泊まった旅館も、津波で全壊し、私たちが泊まった場所に再建されたとか。


田野畑駅にはこんな冊子も置いてありました。






三陸海岸の被害は私たちの想像をはるかに越えていて
今でもその傷跡が残っているところが多々ございました。

あちらこちらに「津波到達点」の表示がありました。
建物の下に立ってその津波の高さを見上げた時、とても抗えられるものでなく
自然の巨大な恐ろしさを感じました。



「あまちゃん」の中でも東日本大震災の復興を掲げる場面がございましたが、
私たちの乗りました三陸鉄道北リアス線(宮古ー久慈)が繋がりましたのが、
2014年の4月6日。
あまちゃんの放送開始から約1年後です。


さらに今回は乗る機会はありませんでしたが、以前のJR山田線、現在のリアス線
宮古から釜石がつながったのは、2019年3月24日の事です。
北リアス線ーリアス線ー南リアス線が 完全に復旧したのは、わずか4年半前。

10年経っての再放送。
三陸鉄道が全線で開通して 私たちを楽しませてくれている陰には
地元の方たちの血が滲むような努力があったのだなあ~と 思わずにはおられません

実際に現地では、このあたりの事は聞くことはできませんでしたが、
それでも、行かなければわからない事、行った事によって感じる事は多々ありました。


東日本大震災当時、私は京都南座で「獨道中五十三驛」に出演中でしたが、
その京都でさえ震源地か? と思うほど揺れました。

それが震源地は東北と知り、あまりの遠さと揺れの大きさに
現地の方はどれほどの恐怖だったか・・・。
そしてその後に訪れた大津波。

ホテルのテレビで見ていたあの映像。
どこか、テレビの中の事のように、全く実感を伴わないくらいに思考がついて行かなかった
あの映像は、実際にこれらの地であった事だったのだと・・・


震災から12年、まだまだ復興と云うには小さな規模ですが、
北三陸を訪れる時、その気持ちを忘れてはいけないと思いました。