昨日は『傾城反魂香 将監間居の場』のおもだかや型と

音羽屋型の違いを書かせて頂きました。

ではなぜ猿翁旦那は幕が開くとすぐに又平夫婦が登場するおもだかや型をされず、
あえて音羽屋型で登場されたのか?

 



又平夫婦が先に登場しますと今回のように百姓たちの登場の時、
又平夫婦はその場に居る事になります。

ここにちょっとした違和感が生じます。

又平夫婦の登場までは結界のように将監宅に木戸がございますが、
私たち百姓が登場する時にはこの木戸は大道具さんによって取り払われます。

これはこの場面に限らず、多くのお芝居で使わている手法です。

「これ以後のお芝居には邪魔になるから木戸を取り払うだけで

 本来はここに木戸はありますよ、」という意味を持っております。

夜の部の『義経千本桜 すし屋』でも梶原景時の登場の時に木戸は取り払われます。
同じ意味ですね。

人がたくさん登場しまして鎧を着た武士たちが木戸を通る際にあたったりすると
木戸が倒れたりしかねません

また一人ずつが通過するのに時間もかかってしまいます。
ここが歌舞伎の合理的なところでして、お芝居の都合上無くなりますが、
ここはお客様はある事にしてご覧くださいね、と云う事です(笑)


『傾城反魂香』でもこれと同じことなのですが、今回のおもだかや型ですと
百姓の登場時にすでに取り払われておりますと、お約束的には、そこに木戸はある前提なのですが

とは申しましても、実際にはない中、将監以下みんながいる場所へ 

それを無視して百姓がワイワイと 虎退治にやって来る事になるのは何とも不自然・・・

と云うか百姓的には不思議です。

 

 

このあたりのニュアンスは 上手く伝わるか分からないのですが、

そこに見えなくても「木戸はある」

あるのですが「今実際に木戸は物理的にはない」

やはり、「なくてもある」という前提とは言え、実際にあります時は

「結界」の役目も致しております。

屋敷の「うち」と「外」



本来この木戸は雅楽之助の登場時に取り払われます。

では、なぜ今回は、この雅楽之助の場面まで 木戸を置いておかなかったのか。

やはり、先に又平夫婦が出て来ている事に関係します。

 

普段の将監内の場面では、百姓がどやどやと出て参りました時に、

「うち」の平場には修理之助しかおりません。

今月は又平夫婦と合わせて3人がおりますので、どうしても狭く見えてしまうからではないかと

思います。

 

 

これも歌舞伎の独特と云いますか、ちょっと不思議な前提なのですが、

木戸がなくなっても、そこには木戸はあります。

 

ですが、木戸があった時よりも、「うち」の部分は広く使われだすのです(笑)

うちと外の区別はあるという前提ですが、確実に「うち」が広がります(笑)

木戸があったあたりも 当たり前のように「うち」

あれ、そこさっきの木戸よりも外?と云う所も、「うち」として使われる事もあります。

 

まあ、ご都合主義と云ったらご都合主義ではあるのですが(笑)

そう云う訳で、木戸を早めに取り払い、「うち」が狭苦しく見えない様に

しているのでしょうね。

 

 

私たち百姓も、普段の虎退治の時は、木戸の「外」の云わば結界の外に居りますが

今回は、「ある前提の木戸」の外とは云え、うちの様な外の様な。

人の家の庭の中にまで入って行って騒いでいるような気がしてしまいます(笑)



お家の型であっても不自然だと思われる事はどんどん改訂されて行く
猿翁旦那らしいと云えばらしいですね(笑)

型は大事ですがそれも柔軟な考え方があればこそ。

今回は中車さん初演ですからあえておもだかや型で勤められました。

しばらく上演されておりませんでした おもだかやの型が復活しましたので

とても貴重なひと月となりました。

次回また『傾城反魂香』の又平を勤められるときは
どちらの演出でされるかも想像してみると面白いですね。