昨日の夜、NHK・Eテレの『古典芸能への招待』の京都南座、
顔見世興行の放送を全部ではありませんが、少し見ておりました。

「封印切」と「松浦の太鼓」私も両方とも出演していた事がある演目です。
「封印切」は何回も後ろに座っている仲居で出させて頂きました。

梅川と忠兵衛は片岡秀太郎さん 坂田藤十郎さんのコンビに始まり
秀太郎さんと仁左衛門さん、先代門之助さんと坂田藤十郎さん
七之助さんと勘九郎さんの平成中村座の時は私は肝煎り芳兵衛を、
パルコ劇場での笑也さん右團次さんのコンビの時は私は
槌屋治右衛門で出させて頂きました。

関西出身だったためにずいぶんたくさんの「封印切」に出して頂いたものです。

まあ、ここだけの話、あのうしろの仲居のお役は何もしないのですが

けっこう辛いのです。

前で行われている事にそれほど反応してはいけないのですが、

だからと云って、ぼーっとしていて良いわけではありません

 

秀太郎さんの梅川、仁左衛門さんの忠兵衛、そして我當さんの八右衛門。

この松嶋屋ご兄弟の共演は、思い出深いものがあります。

楽しい毎日でしたね。

 

 

もう一つここだけの話・・・

一度火鉢を持って入る場面。初日か2日目くらいでしたでしょうか。

緊張もあり、衣裳もかなりきっちりと着て、舞台上でも女形の「体を殺す」ことを

いつもよりも念入りにしていた事が災いし・・・

 

普段ではあまりない事に、足がしびれてしまいました。

この辺りは、技術で何とかなるのですが、いろいろと重なり、前に出て火鉢を持ち上げようと

した瞬間に、その重さに足のしびれを感じてしまい・・・

 

全く力が入りません

 

小声で「段之!段之!火鉢持って」と・・・、

段之さんがすっ飛んできてくれて、事なきを得ましたが・・・(笑)

翌日からは、少しゆったりと衣裳を着て、座る時も少しリラックスするようにしました。

今思い出しても冷や汗をかくと云いたいですが、さすがにもう笑い話の域に達してますね。

30年以上前の話ですから。

 

その頃から段之さんとは持ちつ持たれつだった訳ですね(笑)



それに比べて「松浦の太鼓」に出演したのは過去に1回だけ・・・。
1981年10月御園座の顔見世での「松浦の太鼓」

松浦鎮信は十七代目勘三郎さんで大高源吾は片岡仁左衛門(当時孝夫)さんでした。
宝井其角は実川延若さんで私は松浦邸玄関先に控えている足軽でした。

仁左衛門さんの大高源吾がとても格好良く勘三郎さんとのやりとりを毎日
楽しく見ておりました。

その仁左衛門さんが昨夜は松浦鎮信で大高源吾は獅童さん、時の流れを感じました。
仁左衛門さんの松浦候はやはり楽しそうに演じておられましたね。
今や松浦候のお役がピッタリの感じです。

ただ、やはり全編の放送ではなく抜粋でしたのでちょっと残念な気も致しました。
お芝居はやはり幕開きから幕が閉まるまで見たいですね。

昨年の11月は歌舞伎座で「花競忠臣顔見勢」でダイジェスト版忠臣蔵でした。
私も最後の両国橋の居並びに塩冶義士として並んでお居りました(笑)

今年は12月に辛うじて京都南座での「忠臣蔵もの」の歌舞伎、
来年はどこかで「仮名手本忠臣蔵」の通しが上演されるでしょうか?