歌舞伎美人にて来年度2023年5月の猿之助さんの明治座歌舞伎公演の
演目が発表されました。それも明治座創業150周年として
「市川猿之助奮闘歌舞伎公演」と云う名称。

なつかしい響きです。


演目が、昼の部『不死鳥よ波濤を越えてー平家物語異聞ー』夜の部『御贔屓繋馬』

実は、昨日スマホを触っていた家人が「来年5月明治座なんや」と云いましたので
「演目なに??」と割と気軽に尋ねました所・・・

「え、え???不死鳥よ なみ・・・じゃなくて、波濤 ほらいつも語ってるやつ」

と。

今度は私がびっくり。

「え?マジで??『不死鳥よ波濤を越えて』やるつもりなん???」

寝ていた訳ではありませんが、一気に目が覚めました。
まさかの演目。


みな様も驚かれたのではないでしょうか。
昨日から私のブログの訪問者数が増えております(笑)
しかも、この演目について書かれた記事のカウントが・・・

調べられて私のブログに行きあたられた方が 多かったのではないかと思います。
何度か書いておりますので、多少重複するかもしれませんが・・・



この並びは昔、猿翁旦那が公演されていた当時の明治座の奮闘公演を思い出します。

『不死鳥よ波濤を越えて』の初演は1979年(昭和54年)2月梅田コマ劇場ですから
43年前ですか? 
私はまだ27歳の青年(笑)
上演はこの時1回限りでその後、歌舞伎界では再演がございません

おもだかや一門の中でも今はもうこのお芝居を知っている人は
ごく限られた一部の人だけでしょうね。


ところが松平健さんが2000年(平成12年)11月にこの作品を上演されておられます。

もとより松平健さんと猿翁旦那は交流がありました。
1986年2・3月の『ヤマトタケル』初演時が行われた時には、
次の月4月に明治座での松平健さんの『若き日のジンギスカン』の演出を
猿翁旦那が手掛けられたりもしておられました。

このお芝居、時々『ヤマトタケル』を彷彿させる場面もありました。
そして私も出演させて頂いておりました。
その縁での『不死鳥よ波濤を越えて』の上演だったと思います。



しかし『不死鳥よ波濤を越えて』のお芝居に来年の5月、
再びお目にかかれるとは私も思いもよりませんでした。

あくまでも40年前の初演の時の話ですが、壇ノ浦の合戦で敗れた平知盛が
入水後実はある人に助けられ大陸に渡ると云う壮大な物語。
なんか「源義経=ジンギスカン」と云う説の知盛版と云った所でしょうか?(笑)


コマ劇場と云うのは当時大阪梅田と東京新宿にございました。
舞台は半円形で客席にせり出す形、三重盆でこの盆が左右独立して廻り
さらに三段に上下運動をすると云う画期的な舞台でした。


ですが舞台機構は照明も大道具も今の方が比べ物にならないくらい
進んでおりますね。

以前にも書きましたがこの時名づけられたのが「コマ・グランド歌舞伎」
と云う名称でスーパー歌舞伎の前身です。

最期に知盛は日本を目指すことはできませんでしたが、
不死鳥に乗って去って行くと云う姿はどこかヤマトタケルを思い出させます。

明治座での奮闘公演 猿之助さんはどの様に作られるのでしょうか?
どこまでが元の通りでどこまでアレンジされるのか。

おそらく 猿翁旦那が個人的に撮っているものがあるかも知れませんが、
初演は正式には映像も残っていない作品ではないかと思います。
一体どこから この演目の再演を思いつかれたのでしょうね。
来年5月が楽しみです(笑)