昨日のブログのコメント欄で今月の私、瓦版売りが被っている手拭い
「吉原被り」の事についてご質問を頂きました。

良い機会ですので「吉原被り」についてご説明いたします。

手拭いの被り方には「伊賀越道中双六 沼津」の十兵衛の道中被り
女殺油地獄の河内屋与兵衛のほお被り また「鼠小僧」などの盗人被り(はながけ)や
お祭りの若い衆の様な喧嘩被り等、たくさんあります。

 

吉原被り、昨日の写真を見て下さい。

これは単に手拭いを載せているのではなく、髷の元結の所で手拭いを縛っております。

 

一枚の布を様々な方法で被る。

これは日本手拭いの文化でもあります。


江戸時代の成人男性はご存じのように町人も武士も額から頭にかけて
中剃りと申しますが、髪の毛を剃り上げております。

そして髪には鬢付けや椿油の様なものを塗って髷の形を整えております。

外歩きの場合、武士は笠を被りますが町人の外歩きのお仕事の人は、
そうもいきません。

ですが、今と違いまして、道路は舗装されておりません

必然的に、砂がまき上がったりいたします。

その道を油や鬢付けで固めた頭で歩きますと・・・どうなるのかは一目瞭然。

 

そこで、砂ぼこりやチリが髪に付くのを防ぐために手拭いを頭に乗せております。

ですが、ただ湯船につかったような形の手拭いを頭に乗せただけでは
当然野暮ったく見えます。

日本手拭いを如何にして おしゃれに被るか?と云った事があったのではないでしょうか。

ではなぜ「吉原」の名がついているのか。

ここから先は私の推測ですが、吉原や色街での新内流しや芸人、太鼓持ちと云った
職種の人は特に野暮を嫌います。

そこで吉原の新内流しか誰かが考案したのが粋な被り方が、おしゃれと云う事で

流行ったのではないでしょうか?

吉原でこういったものが流行っていると 巷に広がったのではないか。
それが「吉原被り」の発祥ではないか?・・・と、名称から推測しました。

女性の髪形や着物の柄等も吉原から流行すると云われておりますので、
そこから巷に流行して昼間、外での仕事を余儀なくされる「瓦版売り」や
「行商の人」が吉原被りを真似をしたのではないかと思います。

 

逆に魚屋などが吉原被りをしますとこれは粋ではなく野暮ですね(笑)
魚屋は活きのいいのが売りですからやはりねじり鉢巻きでしょう(笑)

今回私が被っている瓦版売りの吉原被り、手拭いの柄は半染めや
私の猿三郎の手拭いでもいいのですが、やはり成田屋の襲名披露公演。

『十三代目市川團十郎白猿』丈からご祝儀に頂いた成田屋の手拭いを
記念に使わせて頂いております。




私、わずかな出番ですが早々にコメント欄で「三枡の手拭いですね。」
と、ご指摘くださったお客様も居られます。

日本手拭いと云い、風呂敷や袱紗、日本では一枚の布から「包む」

と云った独特の文化がありますね。

 

エコバッグの普及で、風呂敷をエコバッグ代わりにする方法もあり、

先日風呂敷を売っている店でも 色々と解説されておりました。

こう云った文化も大切にしたいものです。

 

さすがに現在は吉原被りをしておりますと、びっくりされますが(笑)

もしかしたら、流行る日も・・・来るかも知れません、って来ないかな。