今朝9時に堺の実家を発ち午後に東京へ帰って参りました。

本当はもう少し大阪に居たかったんですが、私が居ないとどうしても

進まない事案がありまして・・・帰宅を余儀なくされました(笑)

 

さて昨日のブログでは、斑鳩寺こと法隆寺への訪問を書かせて頂きました。

私が行った60年前では、拝観料っていったいいくらだったのでしょう。
30年前(笑)に行った家人の昔のガイドブックを見ますと、
その当時で700円。
少し前に行きたいなと思って調べた時には1000円。

それが今回本格的に行こうと思って調べた時には1500円・・・

結構なお値段です(笑)
結構なお値段ですが、今回はそれほど人も多くなく(除く学生団体)
ゆっくりと見たいところを見る事が出来ましたので、満足です。


実はその後、もう一つ家人が行きたがっていたお寺がありました。

今回は下調べもほとんどなく、現地に行ったのですが、駅に着いて
ショックを受けました。家人が(笑)

行きたかった所の1つ、中宮寺の弥勒菩薩像が現在北海道への出張中。
見る事が出来ないと貼り出しがありました。
無念・・・

「もう一つ行けるなら行きたいところがあるねんけど・・・」
と言い出したところがありましたので、夢殿の拝観後にそちらに。


夢殿のある東院伽藍から西院伽藍の前を通り抜けましてさらに西に。
細く趣のある小道を進みました。

昔よく通りました嵯峨野の脇の小道を彷彿とさせるような道。
写真を撮りたかったのですが、すぐ前に二人組、後ろに自転車を
押している地元の人と、ずっと並走しておりましたので、
残念ながらこの道の写真は撮れませんでした。

で、どこに行きたいん??

と聞きましたら「藤ノ木古墳」との事。

古墳???と思いましたが、大人しく道を進みます。
家人はスマホの地図を見ながら「そこ左」など2回ほど曲がって、
「もうその辺」と云いますが、私の目の前には古墳にしか見えない山が。



目の前にどう考えても 素人目にも「古墳」があるんですけど・・・
その辺ってレベルじゃなく、どう見てもあれしかないんですけど・・・(笑)

あれでした。

家人のいい訳では、思ったよりも整備されていて時代的に思っていたより
大きかった・・・
だそうですが、どう見てもあれが古墳でした(笑)

整備された公園風の敷地に古墳古墳した古墳。
入り口と云ったらいいのでしょうか? 調べたら羨道(えんどう)という
言葉が出て参りましたが、そこから内部がのぞけます。


ガラス越しなのですが、人感センサーで近づきますと一時的に明かりがつき
中の石棺が見る事が出来ます。



ここで正直に告白いたしますが・・・
私は今日この日まで、藤ノ木古墳と云う名前すら知りませんでした。
意識して目にしたことも、聞いた事もありませんでした。

なんで家人がわざわざ見に行きたいと思ったのか、一体何なのか、
この時点では全く知りませんでした。


ですが、帰り道に文化財センターがある事が書かれてましたので
寄る事を提案。
帰り道だったのと、少し暑かったので少し休憩できるかと。
結果的には寄ってよかったです。

 



館内には私たちしかおりませんでしたが、出土品のレプリカと
20分の説明VTR





もう一つ正直に申し上げますと、VTRまじめに見る気は私にはあまり・・・
ですが、私たちしかいなかったこともあり、実に熱心に説明下さり、
見ない訳には行かなくなってしまった・・・気が(笑)

でも、見てよかったです。
藤ノ木古墳とは何だったのか、全く知らなかった私でも
勉強になりました。

映像の中には発掘当時の責任者の方々がお話されております。

なるほど、この藤ノ木古墳の発掘が世紀の大発見だったと云う事が 
私にもなんとなくわかった気がします。

男性二人の合葬墓であると云う事。
かつてないほどの副葬品が そのままの形で出て来たと云う事。
その副葬品のルーツが隋(当時の中国)のみならずアフガニスタンにまで
及ぶと云う事。

壮大な歴史の一端を見られたような気が致します。


被葬者は一体誰だったのか、もちろん答えは出ておりません
様々な説はありますが、私も少しは知っている人物に関連のある
人だったりとか・・・
歴史ってすごいですね。1400年以上前の事が、目の前に。

法隆寺の建立をした聖徳太子の時代の まだ少し前にできたと云う
藤ノ木古墳。

 


被葬者の謎は解けるのでしょうか?永遠に謎のままなのでしょうか。
知りたい気もしますし、そのままの方がいい気も致します。

 

法隆寺の脇道でしたが古代のロマンを感じる脇道でした。