歌舞伎のお芝居の中にはみな様もご承知の通り、写実と嘘がございます。

感情の表現として大きなお芝居をするのは「噓」ではなく 「写実」をオーバーにしたもので
喜怒哀楽はすべての人が持っている「写実」です。

例えば『雪夕暮入谷畦道(そば屋)』で食べるのは本当のそばですが、
『新皿屋舗月雨暈(魚屋宗五郎)』で飲むお酒は本当は入っていません

お芝居の中でうらぶれた風情を出すための本物のそばで、入っていないお酒は
入っているように見せ、だんだん酔っぱらっている様を見せる技術つまり「嘘」です。

また舞台上では酔っていく様をお見せするのですが実際のお酒を飲む時間経過では
あの短時間にあそこまでは酔わないでしょう(笑)


これもある意味嘘の技術 つまり芸術です。
ちなみにこのお役を当たり役とされた六代目菊五郎さんは
お酒は一滴も飲めなかったそうです。


歌舞伎ではこう云った「写実」と「嘘」がない混ぜになっております。

今月の第1部『當世流小栗判官』では重要な動物として馬が登場致します。
もちろん本物の馬ではなく役者さん二人が馬の脚を勤めている偽物です。
偽物ですが人の動きは写実ですね。

その昔、ある歌舞伎のお芝居で実験的に本物の馬を登場させたことがあったそうです。
昔の人の方が考え方が斬新的だったのかも知れません

ですが斬新的だったのは考え方だけだったようで本物の馬は舞台上で
ひと月間こちらの思惑通りには動いてくれません おかげで舞台の上で暴れたり
フンをしたりして散散だった様ですぐに中止になったそうです。

私も舞台上の実際の馬は見た事がないのでかなり昔のお話ですね(笑) 


仕方なく現在も歌舞伎の馬は作り物に人が入っておりますが、
ここで面白いのが馬の動きです。

本来の馬は前後の足をバラバラに動かして前へ進みます。
しかしこの写実的な動きを人が真似をしても歌舞伎では馬のように見えないのです。

歌舞伎の馬は前足と後ろ足がそろっていて同じ動きを致します。
本物の馬はこう云った足運びは絶対に致しません
ですが逆にこれの方が歌舞伎では写実に見えるから不思議です。

先ほどの魚屋宗五郎のお酒の酔い方ではありませんが、嘘が写実に見えるのです。
ご観劇の際は馬の足にもちょっとご注目下さい(笑)


そして大詰めの小栗判官と照手姫の二人が乗る宙乗りの馬、
これには人が入っておりません

動いている足は仕掛けで動いております。

この馬も空を飛ぶのは嘘の世界ですが馬の動きは人よりも写実的です(笑)

ご観劇の際はこの二つの馬の違いじっくりご観察くださいませ。