以前にも書かせて頂きましたが七月歌舞伎座の第1部で上演される『當世流小栗判官』
これは猿翁旦那が書き換えられての作品で昼の部か、夜の部での片道通し狂言が通常でした。

一度はご覧になられた方も多いのではないでしょうか??



ですが『小栗判官』の物語、元々は江戸時代に作られました浄瑠璃でしたが、

近年はあまり上演がされていなかったようです。

 

私が知っている限りの小栗判官の復活?の初演は7時間半のロングラン公演でした。

『小栗判官車街道』の外題で上演されました。

道頓堀朝日座、午後2時開演で終演は9時半の1回公演、2週間ほどだったのですが
変則的に岡山市民会館(ダイジェスト版)と東横ホールでの公演もありました。

演出は武智歌舞伎の武智鉄二さんで 1974年5月の事です。

小栗判官と浪七は扇雀時代の坂田藤十郎さん 照手姫は片岡秀太郎さん 


私はこの時は出演しておりませんでしたが父が出演していたので
見に行かせて貰いましたが7時間半も全く苦にならずとても面白かったです。

中でも宗十郎さんは絶品でした。後家お槇とその娘のお駒(田之助さん)に惚れる
つっころばしの若旦那の二役を早替わり。本当に絶品でした。

若旦那は浪人を雇ってお駒を襲わせ、そこへ自分が出て行って助けると云う筋を描きましたが、
すっかりいい所を小栗判官に持って行かれてしまいます。

そして悪い事はできません、 くだんのお駒は判官にぞっこんに惚れてしまいます(笑)

判官に礼を云う「母お槇」と悔しがる「若旦那」の早替わり、本当に同じ人かと
当時信じられませんでした(笑)


後年、猿翁旦那が『小栗判官』の改訂版を上演されると決まった時に
やはり宗十郎さんも出演される予定となりました。

その前の月のお芝居でのある時、花道で私が宗十郎さんに話しかけた事がございました。

「あの武智歌舞伎での小栗判官の時の旦那、お槇と若旦那のふた役は絶品でした。」
と申し上げましたら嬉しそうなお顔で「あの時のお芝居見てるの?ありがとう。」と云われ
その後「でも猿翁さんの『小栗判官』ではあの場面無くて若旦那出ないんだよ。」・・・と、
これはちょっとお寂しそうでしたね。 

私もこのお役見たかったですし、ぜひたくさんの方に見て頂きたかったです。


その代わり浪七のうちの場面の「矢走の橋蔵」は あの若旦那のお役を越えるくらいの怪演。

絶品でしたね(笑)


お話が前後しますがこの朝日座の初演より前の 近代の『小栗判官』の記録がございません

ですがこの公演が決まった時、私は藤十郎さんについておりましたが
嵐璃珏さんと云う上方の重鎮の方と 藤十郎さんとのお話をたまたま横で聞いておりました。


当時70代くらいだったと思いますが、嵐璃珏さんは 小芝居で出演された事があったらしく

その時は『小栗外伝』と云う狂言名題だったと云われておりました。

残念ながら、お話の詳しい内容までは伺えませんでしたが、聞いていたらよかったなあと

今になって思います。

どんなお話だったのでしょうね。

 

 

ちょうどこの頃 NHKの番組で 辻村ジュサブローさんの人形劇『新・八犬伝』が放送されていて

その中で 小栗判官と照手姫のお話が番外編として入っておりました。

凄い人気になったんですよ。私もこの人形劇で小栗判官のお話を知りました。

それで武智歌舞伎でも取り上げられたのだと思います。

江戸時代にもたくさんの作者の方が たくさんの物語を作られております。

そして、近代になって 小芝居であったという『小栗外伝』から 上方の『小栗判官車街道』

そして『當世流小栗判官』 スーパー歌舞伎の『オグリ』もございます。

 

きっと元の話に色々な脚色が加えられ、そぎ落とされ、そしてまた創作されという過程を経て

今ある物語になったのでしょうね。


来月の『當世流小栗判官』もこの時期さらに時間短縮を余儀なくされております。

藤十郎さんの初演は7時間半ですがわずか2週間ほどの公演、
現在では猿翁旦那の『當世流小栗判官』が主流ですがこうやって見ると
江戸時代からの作品が少しずつ現代へ変化して行く様を見るようですね。

来月の『當世流小栗判官』どんなことになるんでしょう?(笑)

 

楽しみです。出演している私も。