今夜の初演時、初日の感動の第2位は・・・。


1986年(昭和61年)新橋演舞場 2月4日初日のスーパー歌舞伎『ヤマトタケル』です。


スーパー歌舞伎とはこの時、初めて銘打たれました。

記念すべき第一作目です。

以前に実験的に梅田コマ劇場でちょっとタカラヅカ的な『不死鳥よ波濤を越えて』
などが上演された時は、「コマ・グランド歌舞伎」と云われておりましたが、
つづく作品が『太閤記』やら『十二時忠臣蔵』など古典的な作品もあり
また『舟遊女』等 抒情詩的な作品もありまして、系統的には統一されておりませんでした。

この梅田コマ劇場以外では「グランド歌舞伎」と云う名称は使用しておりません



グレードアップされて登場したのがこのスーパー歌舞伎『ヤマトタケル』

前月の1月、1ヶ月間のお稽古期間を用いられたのもこの『ヤマトタケル』が
初めてでした。

その時から「え? お稽古に1ヶ月もかけるの?」と当時は不思議に思いましたね。

普通の演劇では当然のことも、歌舞伎は数日で開けるのが当たり前。

1か月も!といった具合です。


もちろん会社からはお稽古期間なのにひと月分の出演料は出してくれておりました。


当時森下町にありました「ベニサン・ピット」と云う元染物工場を改造したスタジオが
お稽古場で、朝11時から夜の9時までがお稽古時間。

このあたりから段々 お稽古時間も決められるようになって来まして
お稽古のやり方にも進展が見られましたね(笑)

それでも梅原猛先生の電話帳の様な膨大な台詞劇をそぎ落としていく作業は大変でした。
それに台詞は現代語、そしてなんと云っても衣装デザイナーの毛利臣男さんや
背景美術担当の朝倉摂さん 照明の吉井澄夫さん等々、歌舞伎の世界に美術や照明専門の担当の方が
参加されたのも初めてでした。

しかし帝や皇后 山神や姥神などの初期の衣裳は重いうえに動きづらく、
年配の方は本当にお疲れだった事と思います。

まるで着ているだけで重さで体中が痛くなりそうだったのを覚えております。
これも再演に再演を重ねて徐々に動きやすくなりましたが・・・(笑) 

また動きとしては焼津の燃える火の戦いを私たち若手に
アクロバット的な動きを求められ難儀しました(笑)

その練習がお芝居のお稽古が終わってから必ずあったのでお稽古はいつも最後までかかりました。
再再演あたりではアクロバット専門の方を呼んで来て下さいましたが・・・(笑)


2幕幕切れの走り水の乙姫入水場面での波後見は『加賀見山再岩藤』の浅野川などの
鳥居又助の手法を参考に取り入れられましたが この場面も作っていく作業は大変でした(笑)

ちなみにこの初演時再演時の波長(なみちょう)は私で、上手一番前で常に毎回、この場面を見ていて
誰と誰の場所の波が弱すぎるとか強すぎる 高すぎる低すぎると 色々な指示を出しておりました。



もちろん3幕の伊吹山の山神や姥神などの場面も見せ場ですから
大猪などの道具も動きが活発にできるように何回も作り直されたりしておりました。

この伊吹山の大猪、初演時から門松さんと龍蔵さんが担当されていて、
千穐楽を迎えると、猿翁旦那から「よくやった」と猿之助賞のご褒美が出ておりましたね(笑)

確かにヤマトタケルと戦うこの白い大猪、旦那の立ち回りと呼吸もピッタリでしたね。
印象深い場面でもあります。

この『ヤマトタケル』の舞台稽古は確かに夜中の2時3時にはなりましたが
朝まで連続と云う事はなかったと思います。

お稽古にも別に明かり合わせの時間や音楽と照明のテクニカル・リハーサルと云う
新しいお稽古のやり方を取り入れられたのもこの『ヤマトタケル』が最初です。




初日の日、歌舞伎と云うのにBGMがかかり緞帳が開き 朝餉の儀式の場面が
せり上がって来ますと本当に荘厳な感じがしましたね。


私は2場の大碓命(猿翁旦那)の館に訪れる小碓命(猿翁旦那)の吹替をさせて頂いておりましたので、この場面は毎回、出の前で上手の袖で見ておりました。


お客様の感嘆の息が聞こえる様でした。


そして大碓命と小碓命の二役早替わりの立回り、お客様呆気にとられて居られましたね(笑)


私の吹替としてはしてやったりです(笑)



初日に新聞社の方でしょうか? 楽屋の公衆電話で「この芝居凄いよ!
今までこんな豪華な芝居 見た事ない、衣裳や照明 音楽と立ち回り 
すべてが凄い」と興奮してどこかに連絡しておられました。

通りすがりにこれを聞きまして「うわ~、旦那 やったなあ~」と
嬉しくなったのを覚えております。


この方は歴史の目撃者になられたわけですね。

そして、私もその大きな歴史の幕開けの1つのパーツとして参加していたこと。

そして、今に続くまで参加し続けられていること。


全てはこの日から始まったと言っても過言ではありません




この後、客席の通路と云う通路がなくなり補助席ですらもう取れないと云う事態が発生、
今では消防法でそんな事はもうできませんが、当時はありったけの空間にお客様を入れており
この年の観客動員数のぶっちぎりの1位でしたね(笑)

このスーパー歌舞伎『ヤマトタケル』が初演時の初日の感動の第2位です。