さあ、初演時の初日の感動、第3位は・・・?

『義経千本桜』『獨道中五十三驛』と来ましたので、そろそろみな様も
次に来るものの想像がついてきたかもしれませんね。

1979年(昭和54年)4月1日初日の明治座公演
『慙紅葉汗顔見勢 伊達の十役』です。

と云うより、昼の部でこの『慙紅葉汗顔見勢 伊達の十役』を上演し、
続けて 夜の部が『夏祭浪花鑑』の通し上演 切に舞踊『唐相撲』

この昼夜の公演そのものが初演時、初日の感動です(笑)

5位、4位の初演よりもさらに数年前の事です。
当然、私はまだ本名で舞台に立っておりましたし、まだ関西在住。
26歳の春のお話です。

いつもよりお稽古期間が長く設定されていた関係で 早めに東京へ呼ばれました。
未だに覚えております。
門前仲町のBMCホテルと云う所に宿泊しておりました。
今でもあるのでしょうか?

浜町にあった検番(芸者さんたちのお稽古場で普通に街中にありました。)での
お稽古が朝11時から始まりまして、毎夜終わるのは10時過ぎに。
朝から晩まで 鳴り物がドンデンバッタ、ドンデンバッタ、
附けがバタバタバタ 見得がバッタリと1日中騒音だらけ・・・(笑)

さすがに2,3日もすると苦情が入り なるべく静かに・・・ということで、
お稽古も9時までとなりましたが・・・(笑)

この忘れたくても忘れられない 浜町でのお稽古の様子は
以前のブログにも何回か書かせて頂きました。

舞台稽古になってからもバタバタは続きました。

そもそも、夜の部の『夏祭浪花鑑』の通しのお稽古にも時間がかかりました。
普段はあまり出ない 團七(猿翁旦那)の大屋根の立ち回りもある 盛り沢山・・・
と云うよりもてんこ盛りのお芝居。

また『唐相撲』は舞踊と立ち回りで 日本の関取が唐の宮殿で王様以下みんなと
相撲を取ると云う狂言もの。

宗十郎さんの王様から段四郎さんの大臣以下幹部さん名題さん 名題下まで
全員がおよそ1時間 最後の幕まで舞台に出ております。

舞台稽古??時間通りに 終わる訳がありません

初日の前の日、最終日のお稽古がどんどん伸びます。終わるわけありません
でも、翌日は初日ですので、終わらなくても終わらせなくてはなりません

お稽古が終わったのがなんと当日の午前7時。
11時には『慙紅葉汗顔見勢 伊達の十役』の初日の幕が開きます。

全員1,2時間の仮眠程度で初日の幕を開けました(笑)
もちろん、ホテルに帰る事もできません
おそらく全員が楽屋での仮眠だったことでしょう。

あれ?当時浜町にお住まいだった先代門之助さんはどうだったのでしょうね(笑)
もしかしたら、門之助さん親子だけはお帰りになっていたかも知れません(笑)
今度、門之助さんに聞いてみようっと(笑)

とにかく、あっという間に、初日の幕が上がると云う訳です。
それから12時間の昼夜公演が始まります。

絶対に終わりっこないと思っておりました 舞台稽古が何とか終わったと云う安心感
その直後には、え、もう初日やん どうするねん と云う焦りと恐怖。

それまでの連日の徹夜稽古の積み重ねで昼の部が終わった時点でみんなクタクタ、
それから『夏祭浪花鑑』が上演され、最後の『唐相撲』でみんなが
後ろに控えている間はさすがに睡魔との戦いでした(笑)

こんなに眠かったのは おそらくこれが一番です(笑)

初日の幕が開いた時点で、これから千穐楽までの日数が恐怖でしたね(笑)
え、これが毎日続くの?25日間も??と云う感じで。

ですが公演は大成功。

歌舞伎を見た事がない人まで『伊達の十役』の好評のうわさを聞かれ当時明治座に
「さる之助のいたちの十役の切符まだありますか?」と問い合わせの電話が
ひっきりなしだったそうです(笑)

やっと千穐楽を迎えて、ホッとしたのもつかの間。
七月歌舞伎座で『加賀見山再岩藤』の公演予定を急遽、『伊達の十役』に変更、
発表されていた演目を 変更すると云う訳ですから、大成功ぶりが伺えます。
まあ、40年以上前ですから、今よりもずっと 大らかでそのあたりは自由でした。

九月京都南座でも1本立ちで再演され、1年のうちに3ヶ月も上演されたのです。

猿翁旦那も4月のこの明治座公演はさすがにお疲れだったとみえて
『伊達の十役』が昼夜公演で昼の部に上演されることはこの後なかったです(笑)
まあ、よく考えたら無謀ですよね、この演目の並びは。
よく考えなくても無茶です(笑)

毎日が徹夜稽古、私はこの時はまだ関西所属でしたので、先ほども書きましたように
ホテルだったので、まだ通勤的にはマシでした。

当時、都営新宿線がまだ開通しておりませんでした。
明治座の最寄り駅は人形町だった時代です。

私も門前仲町に居りましたが、ホテルは駅前ではなく、茅場町まで一駅、そこから
乗り換えてまた一駅。
歩いても20分くらいですので、おそらく本来は歩いた方が早かったのですが、
いくら若いとはいえ、このお稽古とこの大変な公演では、歩く体力は
とても残っておりませんでしたね(笑)

東京籍でうちから通っておられた人たちは 本当に通勤が大変だったと思います。

もっともほとんどの若手は黙って楽屋に寝泊まりしておりましたが・・・(笑)

それだけ大変な思いをして作り上げた『伊達の十役』が猿翁旦那だけではなく
海老蔵さん 幸四郎さん そして猿之助さんとつづけて勤められ 
今の世代に移り変わって行った事は財産であり 本当にあの時苦しんで作り上げて
よかったな~と思いました。

私も初演時、幕開きの絹川与右衛門から高尾殺しの吹替 仁木弾正の吹替まで
勤めさせて頂き、ひとつのものをみんなで作りあげて行く作業に参加させて頂いた感が強く
そう云った意味の初めて出会えた作品ではないでしょうか?

この『慙紅葉汗顔見勢 伊達の十役』が初演時初日の感動の第3位です。

こんな大変なお稽古、こんな大変な初日なんて 2度と経験しないだろうな
と思った初日の朝。
完全に明るくなった中での 舞台稽古を終了した時の安堵感、焦燥感。

まさかこの徹夜稽古が、この先たびたび訪れる事になろうとは・・・
「澤瀉屋の徹夜稽古」のただの序章に過ぎなかったとは・・・

誰も予想だにしなかった、そんな初演初日の思い出です。