いよいよ今日からゴールデン・ウィークですね。
しかしあいにくの雨で今日は私は1日 うちに居りました。

さてブログですが、何を書かせて頂こうか? 色々考えておりましたが、
現在休日中のこのような形ですので、どうしても過去のお話になってしまいます。

お許しくださいね。

 



三代目猿之助(猿翁旦那)四十八撰の演目のほとんどに私は出演させて頂いておりますし、

スーパー歌舞伎におきましては、セカンドを含めまして、すべての作品に初演時より

関わらせて頂いております。
もちろん、私の舞台参加より初演が早いものは当然その初日の舞台を知りません

また中には舞踊など、人があまり多く出ないものもございます。

多くの舞台に、様々な初日がございました。

25日間の公演がありましても、圧倒的に記憶に残っておりますのは、初日です。

千穐楽とは比べ物にならないくらいに 初日の記憶と云うのは 大きいものです。

そこで過去の作品から初演時の初日の舞台に私が立たせて頂いていて
とても感動した順に5回にわたり書かせて頂きます。


まずは第5位

1980年(昭和55年)歌舞伎座、7月3日初日の通し狂言『義経千本桜』

この時の幕開きには宗十郎さんの静御前と雀右衛門(当時芝雀)さんの御台所卿の君。
私、まだ本名での出演で初めて振袖の腰元役 弥生の大抜擢を受けて並んでおりました。

もうお一人、局役の方も並んでおられましたが、あまり台詞的には多くなく、

なんだか私ばっかり喋っていた印象です。

 

宗十郎さんと芝雀さん、そして私の幕開きのお芝居が、そうですね、およそ10分ほど。

ほぼ3人のやりとりでした。

 

もう一度言いますが、まだ本名ですよ、本名(笑)


本格的に歌舞伎の舞台に立つようになってから、5年ほどしかたっておりません。

28歳の時の事です。
緊張しましたね(笑)

 

この場面自体も見た事ありませんでしたので、本当に思い出に残っております。

宗十郎さんがとてもお優しく お芝居が大きな方だったのは今でも覚えております


猿翁旦那、個別にそれぞれのお役や場面を勤められた時はございましたが、
この時の舞台が 猿翁旦那が「忠信」「知盛」「権太」の三役を通しで勤められた最初です。

そして「四の切』の後に五段目「吉野蔵王堂 花矢倉」の大立回りを付けられたのも
この時が初めてでした。

この「蔵王堂」の大立ち回りでは大梯子を使ったり屋根から灯篭 
灯篭から地舞台への二丁返り、僧兵六人の返り越しや総返りなど
トンボをふんだんに取り入れられ 最後は花道から上手舞台への刀投げなど
お客様に喜んで頂ける手法を巧みに組み合わせておりました。

この後、ヨーロッパ遠征まで行かせてくれた記念すべき初日でした(笑)

が、まさかその数年後に一年の半分くらいを、この『義経千本桜』を演るように

なるとは、この時には思いもよりませんでした。

もっとも、緊張の振袖の腰元役を「一人で」演じましたのは、後にも先にも

この時の公演だけでした。

 

直後の再演でも 振袖の腰元をさせて頂きましたが、その時には笑也さんと2人でした。



余談ですが千穐楽の日は幕が閉まってからも拍手が鳴りやまず、
大道具はすでに解体作業が始まっていいたために幕を開ける事が出来ませんでしたが
急遽 猿翁旦那(忠信) 二代目鴈治郎さん(義経) 門之助さん(静御前)が
扮装のまま幕前に出られてご挨拶されてのが昨日の事の様に思い出されます。

この出来事により、再演時には歌舞伎では初めての「蔵王堂」のカーテンコールも

とり入れられるようになりました。

私もまだ若手の頃でしたのでトンボを返ったりしておりましたが
今ではこの時の若手もすっかり年配となり もう「蔵王堂」までの通しは
できないでしょうか?(笑)

 

 

 

ですが、初演の初日で記憶に鮮明に残っておりますのは、やはり序幕の振袖の腰元弥生

ですね。

 

その前の月、中日劇場の公演時にこの配役を聞きました。

前回は児太郎時代の福助さんが演じられた役だとか。

 

猿翁旦那の楽屋まで「抜擢して頂きありがとうございます」とご挨拶に行きました所、

「しっかりやってよ」と云われましたことも 鮮明に覚えております。

 


この『義経千本桜』の初日の感動が私の第5位です。

明日は第4位の初演の初日の感動を書かせて頂きます。