昨日、『新版 伊達の十役』の初日の出番を終え 帰宅しましたら、
思いがけない訃報が飛び込んで参りました。

播磨屋 中村吉右衛門丈が死去されたと・・・。

今年3月末に倒れられ、その後の情報が全く入って来なかったので
思わしくないのかなあ~とは思っておりましたが・・・。

また一人、名優が逝かれてしまわれました。



私の父嵐冠十郎は、初代吉右衛門さんのお弟子だったので、少なからず播磨屋さんとは
ご縁がございました。

1966年10月(昭和41年)東宝在中の折に帝国劇場にて
二代目中村吉右衛門を襲名されました。

この時吉右衛門さん22歳、私もこの公演に出演しており14歳の中学生でした。
私は吉右衛門さんのお父上であられる先代白鸚旦那のお手伝いをさせて頂いておりました。

それがご縁で1974年3月京都南座での『花形歌舞伎』では吉右衛門さんの
お手伝いもさせて頂きました。

その時の花形が吉右衛門さん 海老蔵(12代目團十郎)さん 辰之助(三代目松緑)さん
そして玉三郎さんでした。

弁慶、義経、富樫を三人日替わり交代の『勧進帳』は今でも目に焼き付いております。

 


その後、私が歌舞伎に入って関西籍の折には京都顔見世や東京歌舞伎座での公演でも
吉右衛門さんとは舞台でたびたびご一緒させて頂いておりました。

『梶原平三誉石切』では何回も梶原の近習役で出させて頂きました。


ですが、私がおもだかや一門になってからはその機会が少なくなってしまいました。

もちろん同じ舞台ではなく 出番は違えど同じ興行で
楽屋ですれ違う事はたびたびございました。

ですが、お会いするたびになんだか人物がどんどん大きくなられて行かれるようで
正直楽屋でお会いしても近寄りがたいオーラがございましたね(笑)

そんな方ですが、父が倒れた時廊下でお会いしまたらわざわざそばまで寄って来て下さり
「お父さんに尽くしてあげてね、爺ちゃん(初代吉右衛門さん)は世話になったからね。」
と 優しい言葉をかけて下さいました。

あの時の事は本当に忘れません

 


私はテレビでは「鬼平犯科帳」が大好きで江戸情緒を醸し出す
独特の吉右衛門さんの演技には魅入られておりましたね。

「鬼平犯科帳」は作者の池波正太郎さんが先代白鸚さんを
モデルに書かれたと聞きました。

私は先代白鸚さんの「鬼平犯科帳」も見ておりましたが
正直 吉右衛門さんの方がお父上より鬼平らしいです(笑)


あんなに時代劇、特に火付け盗賊改め方 長谷川平蔵事、鬼平の似合っておられる方も
もう居られないでしょう。


二代目中村吉右衛門丈、謹んでご冥福をお祈り申し上げます。