歌舞伎座の11月『吉例顔見世大歌舞伎』で現在上演中の「花競忠臣顔見勢」
色んな忠臣蔵の外伝をコンパクトにまとめて大変ご好評を頂いております。
ありがとうございます。

その中で2幕に登場する槌谷邸、もちろん「土屋主税」の場面ですが、
『仮名手本忠臣蔵』と現実の忠臣蔵のお話がごちゃ混ぜなので、あえて
仮名手本に沿って槌谷主税と云う名称になっております。

それに伴って大高源吾が大鷲文吾(尾上右近さん)となっております。
ですが、私が登場する川端の場面では赤垣源蔵(福之助さん)は史実の名前、
同輩として登場する勝田新左エ門が仮名手本の龍田新左エ門と云う名称になっております(笑)

 

なんだか、本当にこんがらがって参ります。
ややこしいので、本来の史実の名称で書かせて頂きますね(笑)

 


この時代の人たち 和歌を日常的に嗜んでおります。

本来の『土屋主税』では大高源吾が宝井其角の「年の瀬や 水の流れも 人の身も」
と云う発句を受けて「明日待たるる その宝船」と つけ句をして討ち入りを示唆します。

土屋主税はその真意を読み取りますが 其角はその真意が読めず 次君に仕えると云う
大高源吾の言葉をそのまま受けとり 軽蔑しますね。

和歌のやりとりが鮮明に表れている場面だと思います。

そう云った意味で『忠臣蔵』は和歌の世界とも云えます。

 


「風さそう 花よりもなお われはまた 春の名残を いかにとやせん」
と云う浅野内匠頭の辞世の句に始まりました。

「春の名残」とは桜の花に例えての言葉ですが 吉良上野介を討ち損ねた無念さ、
「いかにとやせん」とは なんとか無念をはらしてほしい、とも読めます。


そして『仮名手本忠臣蔵』四段目、判官切腹の場では塩冶判官が大星由良之助に
臨終間際に残す台詞 「この九寸五分(切腹刀)は、汝に か・た・み(き)じゃぞ」
と敵を討ってくれと示唆致します。

この九寸五分が討ち入りの際、炭小屋の吉良上野介に止めを刺すときに使われるのです。

そして 浅野内匠頭へ送る大石内蔵助の辞世の句が
「あら楽や 思ひは晴るる 身は捨つる 浮世の月に かかる雲なし」とありますが、

本来は「極楽の 道はひとすぢ 君ともに 阿弥陀をそへて 四十八人」
と云うのがご本人の辞世の句だそうです。
四十八人と云うのは浅野内匠頭も入っているのでしょうね。

また四十七士それぞれにも辞世の句があるそうです。

そう云った意味でみんな知識人だったのでしょうか?

 

ちなみに私が演じております間十次郎の辞世の句は

「終にその 待つにぞ露の 玉の緒の けふ絶えて行く 死出の山道」

というものです。

わりとわかりやすい、ストレートな句ですね。

まっすぐな人だったのでしょうか。


その時代の和歌から忠臣蔵を探ってみるのも面白いですよ。