スーパー歌舞伎『ヤマトタケル』の初演の時に毎日通ったお稽古場がベニサン・スタジオ
このお稽古場は森下町にありました。

染色会社「紅三」の工場跡地をいくつかに分割して、スタジオやベニサン・ピットと云う
ミニシアターまで併設されておりました。

フロアには確かピット・インと云う名前だったと思いますが喫茶店もあり 
休憩時間にはみんながランチやコーヒーを注文しておりましたね(笑)

劇場のベニサン・ピットでは小さな劇団のお芝居や蜷川幸雄さん演出のお芝居、
さらに坂東玉三郎さんも出演したことがございました。

お稽古場として使わない時にはスーパー歌舞伎の衣裳部さんが
ここで衣裳制作などもしておりました。

 

『オグリ』『八犬伝』『カグヤ』などの衣裳パレードなどもここで行われました。

「紅白歌合戦」の時の小林幸子さんの衣裳も確かここで作っていたのではないでしょうか?
老朽化のために2009年1月に解体され 今ではもう別の建物になっております。

 

 


また昔の松竹のお稽古場は築地にございました。

現在のADK松竹スクエアの裏手に当たるところに古いビルがあり そこが松竹本社で

その7階にお稽古場が二つ、と云っても今の歌舞伎座のお稽古場ほど広くはなく20畳くらいの板の間と

30畳くらいの和室がお稽古場として使われておりました。

ここで猿翁旦那、菊五郎さん 白鸚さん 吉右衛門さんたちが居並ぶその中で
名題試験を受けた事も遠い昔の思い出ですね(笑)

ここも今ではAKD松竹スクエアとなり昔の面影はありません

 


初演の『ヤマトタケル』のお稽古は先のベニサン・スタジオでしたが
舞台の実寸大の広さが取れないと云う事で『オグリ』や『ヤマトタケル』の再演
『新・三国志』シリーズなどのスーパー歌舞伎のお稽古に通っていたのが蒲生の桂スタジオ。

ここは当時は蒲生駅から30分近く歩くと云う最悪の交通不便(笑)
現在はバスの整備やミニバスの運用でかなり便はよくなりましたが、
朝11時から夜9時までのお稽古にみんな通勤時間が1時間半から2時間近く
かかっておりました。

ただ駐車場だけはあったので、車で通っている人が多かったですね。
先のブログでも書きましたが私もバイクの免許を取ったのはここのお稽古場へ通うため(笑)
お陰で夜9時に終わっても10時にはうちに着きました。

ここのお稽古場もスーパー歌舞伎全盛期、15年ほど通っておりましたが 今はもうありません

 


あと、明治座のお稽古の時は浜町にありました芸妓さんたちの見番、

浜町会館でお稽古をしておりました。

『伊達の十役』が生まれたのはここの見番でしたね。

この会館はもちろん防音設備などもなく朝から晩まで鳴り物入りでドンジャカドンジャカ
附けの音もバタバタバタ バッタリなんて夜遅くまでお稽古をやっておりましたから
さすがにご近所から苦情が来ましたね(笑)

と云事でお稽古は夜の9時までとなりましたが、それでも明治座の歌舞伎のお稽古だ
と云う事でご近所の皆さん 大目に見て下さっておりました。
今では考えられない寛容さでした。
このお稽古場も明治座が新築開場となる際になくなってしまいました。

この4つのお稽古場を知っている人ももう少なくなりました。
ですが今の私の血肉となっているお稽古場でした。

 



現在は歌舞伎座内に大きなお稽古場がふたつ、時代が変わればお稽古場の心地よさも
変わって参ります。

さあ来月の『伊達の十役』のお稽古がまもなく 今月の公演中にも始まって参ります。

通うのではなく歌舞伎座内でお稽古ができると云う事は昔から考えると
本当にありがたい事ですね(笑)