「忠臣蔵」は赤穂浪士四十七士の吉良邸討入りまでには、一人一人それぞれの物語があります。
いや、四十七士に限らず それを取り巻く人たち 討ち入りに参加できなかった浪士など、
様々な人が居ります。

『仮名手本忠臣蔵』でも五,六段目の早野勘平の件は討入りに参加できず自刃して果てますね。
この件を「勘平腹切りの場」と申しますが、なぜ切腹ではないのでしょうか?

これは塩冶家(浅野家)が断絶となり浪人となっているから切腹ではないのです。
では逆に討入りを果たした後の四十七士はなぜ切腹だったのか?

ひとり、寺坂吉右衛門は赤穂家の侍ではなく大石内蔵助個人のお抱えの足軽の身分だった故、
切腹する事が許されずその後、83歳まで存命だったそうです。

残りの四十六士は先の勘平同様、浪人でしたが主君の仇討ちを果たしたと云う事で
名誉の切腹となったらしいです。

幕府では前代未聞の仇討ちに江戸の町の庶民は支持派が熱狂し 安易に罪人として
処罰する事ができませんでした。

また各大名家は、許されたなら抱えたいとする支持する大名も現れ、
せっかく名声を得た義士たちが次君に仕えたとなると今後
どんな不始末を起こすかもと懸念もされました。

1ヶ月半の議論の挙句 武士の名誉としての切腹となったのですが、
私の個人的な感想としては、後々の美談となってこれでよかったと思いますが・・・。


これからは先はちょっと今月のお芝居のネタバレです・・・。

気になる方はご注意ください。

 



『花競忠臣義士顔見勢』は桃井若狭之助の夢から始まり「赤垣源蔵徳利の別れ」
「南部坂雪の別れ」それに「土屋主税」邸に勤めるお園の兄 龍田新左エ門が絡み
さらに大高源吾の件が添えられ 討入りでは清水大学の泉水の立ち回り
花水橋引き上げの場まで一気にご覧頂きます。

盛り沢山ですよね(笑)

「忠臣蔵」では他にどんな物語があるでしょうね?
数え上げたらきりがありませんが・・・。


一場面だけ抜粋して上演するのもよし、また今月のように どちらかと云うと脇筋の話を

うまくつなげまして、4日間の話として見せるのもよし。

 

また、完全に通し上演をしてもよし。

 

もしかしたらもっとたくさんの可能性があるかも知れませんね。

 

いろいろな可能性、これもこのような状況で新しく生まれるものなのかもしれません。