今日の東洋経済オンラインの記事に江戸時代の庶民の「家賃相場」と云うお話が載っており

興味深く読ませてもらいました。

 

江戸時代1804年から1830年までの比較的物価が安定していた
文化・文政年間の価格相場を基準としたもので換算しておりました。

歌舞伎の中で一両や百文などと云ったお金はよく出て参りますね。

 

私も以前、ブログにて当時の価格は今に比較してどのくらいの価値なのか
割り出してみた事がございました。

今日の記事もだいたい今の価格にすると云う方式で書かれてございました。


1804年と云いますとヨーロッパではナポレオンが皇帝に即位した年代、
アメリカでは西部劇全盛時代ですね(笑)


そんな中の日本のこの江戸時代はとても平和な時代でした。

庶民の暮らしはほとんどが間口九尺(約2、7メートル)奥行二間(約3、6メートル)の
長屋住まい、およそ三坪、10平方メートル弱ですから現在の6畳くらいでしょうか?

もしくはとてもとてもリーズナブルなビジネスホテルのシングルルームよりも少し狭め?

 

玄関土間に炊事の窯と水場があり 座敷はおよそ4畳半の広さが標準的な長屋でした。

江戸東京博物館や深川江戸資料館に長屋のモデルがありますね。

 

家賃は今の価格で云うとおよそ3万円、ここに一人暮らしや世帯で暮らす人がいた訳です。

現在の若い人はバス・トイレ付きの1LDK以上とかにお住まいの方が多いでしょうから
想像もつかないでしょうが、私の若い頃はまだかぐや姫の『神田川』にも歌われていたように
風呂なしトイレなしの3畳一間の下宿や4畳半のアパートに住んでいた人はザラにおりました。

江戸時代の長屋暮らしの方が当時の学生さんよりはましだったのでしょうか?(笑)

 

 

私も18歳くらいの時は風呂なしトイレ共同の4畳半に住んでおり、
電気ガス込みで家賃は18000円でしたね。
それでも家を出て引っ越した時は一国一城の主になったような気が致しました(笑)

 

江戸時代の1文は今のおよそ25円から30円、そばが一杯16文ですから400円~480円
現在の商品価値とだいたい同じくらいです。


この計算で行きますと1両が10万円から12万円くらいでしょうか?
『五段目』の定九郎は与市兵衛から50両(500万円~600万円)を殺して奪い取り
『封印切』の忠兵衛は300両(3000万円から3600万円)の為替を
勝手に使ったことになります。そりゃ罪は重いわな~。

 

 

今から思うと江戸時代も私の若い頃も共同玄関 風呂なしトイレ共同の物件でも、
十分暮らして行けてましたね。

 

確かに今から考えるとアパートなどは共同玄関で共同生活ですから不用心ではありますが
その分 人々は助け合って信頼し合って生活しておりました。

現在の板橋のうちの近くにも、まだまだ古いアパート形式の住まいも多く点在しております。

 

江戸時代の長屋暮らしと云うのは貧しいけれど 誰もが貧しい時代、
それでも心は豊かであったように感じます。

子供がいる家ではとてもその広さでは大変でしょうから、外に出て皆で遊んでいた事でしょう。

近所のお姉さんやお兄さんが小さい子の面倒を見て、年齢関係なく遊ぶ。

 

思えばこの光景も、つい昭和のこの間まで見られておりましたが、残念ながら今ではほとんど

見る事が出来なくなっております。

 

 

裕福になった分 生活が個々に変わって行き 人々は心を閉ざすようになってしまったのではないでしょうか?
そのように思えてなりません