今月歌舞伎座「花形歌舞伎」第3部で上演されております『源平布引滝 義賢最期』

 

この後に続く『実盛物語』は多く上演されておりますが 『義賢最期』は長く上演されておりませんでしたが
1965年8月大阪中座で片岡仁左衛門(当時 孝夫)さんが復活されました。


それからこれまでいろんな方が勤められておられますが そう云った訳で近年でのこの狂言の歴史は浅く
上演回数はまだ25回ほどしかございません

 

 

今月は幸四郎さんが勤められておられますが、猿翁旦那も何回か勤められておられます。

1980年10月『源平布引滝』を通し狂言として猿翁旦那の初演の時は池袋サンシャイン劇場で
『奥州安達原』に続く映像と歌舞伎のドッキングの第2弾として作られ 映像部分の監督は猿翁旦那ご自身でした。

 

後に斎藤実盛が九郎助住処の場で娘小まんの腕を斬り落とした経緯を語る物語。
その本来上演されていない「御座船」の場面を映像として作られ『義賢最期』から『実盛物語』として
つづくお話を分かりやすく説明的に映されておりました。

 

この時 木曽先生義賢と斎藤実盛の二役を通して猿翁旦那が勤めておられました。
2つの場面を通し狂言として上演されたのは猿翁旦那だけだったでしょうか?

 

あと木曽先生義賢は仁左衛門さんの他 先の幸四郎さん 海老蔵さん 愛之助さん 芝翫さん 松也さんも
勤められており 大詰めの軍兵との立ち回りはスペクタクルで人気狂言となりましたね。

 

中でも外した襖の上に立ち 崩れ落ちながらの見得は豪快ですね(笑)

きっとお好きな方も多いのではないでしょうか。

 

 

私も『義賢最期』では色んなお役をさせて頂きました。

軍兵はもちろん 愛之助さんの時は高橋判官、サンシャイン劇場での勉強会の時はなんと待宵姫でした(笑)

私にも姫だった時代があるのです。

ほとんどありませんが(笑)

 

軍兵の立ち回りでは猿翁旦那にはもちろん 仁左衛門さんにも何回かからませて頂きました。
1983年12月京都南座顔見世での立ち回りの時は私が襖を倒すタイミングを計るお役でした(笑)

あれ ちょっとズレると義賢が襖から落ちるので緊張するのですよ(笑)


『義賢最期』 これも思い出深い狂言です。