今日は7月7日七夕ですが、あいにくの空模様で星空は見えませんね。
天体望遠鏡の出番も残念ながらここの処ありません


ところで先日の『加賀見山再岩藤』の事について もう少し書かせてください。

 

猿翁旦那がこの演目の最後の上演となりましたのが、2002年(平成14年)2月
大阪松竹座での公演でした。

 

この前の月、1月はおもだかや一門浅草公会堂に出演しておりました。

出演は、亀治郎 松緑 獅童 勘太郎 七之助(敬称略)で 演目は
Aプロ『矢の根』『野崎村』『船弁慶』 Bプロ『野崎村』『鈴ヶ森』『棒しばり』
が出ておりました。

 

『野崎村』のお光 亀治郎、久松 獅童、お染は勘太郎 七之助のダブルキャストで
私は久松を乗せる駕籠屋を門松さんと、そして『船弁慶』の舟人を男女蔵さん猿十郎さんと
勤めておりました。 

 

この公演、お正月の2日~27日までありまして、2月の松竹座の公演が1日~25日まで・・・。

公演日数は通常なのですが、1月と2月の公演の間が4日間しかありませんでした。

 

夜の部が『加賀見山再岩藤』の通し狂言で、実は昼の部も『南総里見八犬伝』の通し上演でした。

猿翁旦那が不安に思われたのがお稽古日数の少なさ。

 

通常、通し狂言があって片道が見取り狂言でも 最低5日間はお稽古日数がございます。

通し狂言2演目でさらに仕掛け物やスペクタクルな大がかりな作品2本で4日間のお稽古は短すぎました。

旦那曰く「稽古日数 2日足りない・・・。」と 結局、徹夜稽古がつづき 
かなりくたびれたのを覚えております(笑)

 

これで終わりではなく ここから25日間の公演が始まるのですから・・・。

 

猿翁旦那この時、63歳、私は50歳、私はこの時は出番的にも体力的にも
まだ大丈夫でしたが 出っぱなしの旦那はかなりお疲れでしたでしょうね。

今の私ならあの時の旦那の体調が分かります。

 

現在はありがたい事にもう このようなきついお稽古や公演はなくなりました(笑)
ちょうど時代の転換機だったのでしょうか。

 

でもお陰様で公演は昼夜とも満杯でしてお客様の熱気とご声援でひと月
乗り切った思い出の公演となりました。


『加賀見山再岩藤』

私はこの時の公演を最後にはしたくないですね(笑)

あくまでも現時点での最後です(笑)