今月の歌舞伎座で上演されているおもだかや一門の『日蓮』に、
青年日蓮の心の象徴として猿弥さん扮する阿修羅が登場いたします。

 

世の中は末法となり民衆が飢饉や疫病などで苦しんでいるのに 
寺や僧は偉そうな武家や貴族ばかりを助け 民衆には目もくれないと
阿修羅は蓮長(日蓮の前名)の心の中の怒りとして表現されております。


阿修羅と云うのはそれぞれの人の心の中に存在し あなたの心の中にもいるのですよ(笑)
その表情は怒りの時もあれば、穏やかな時もあります。

そう気づかせてくれる 今回の『日蓮』なのかもしれません。


 

と書きまして、ふと 結局「阿修羅」そのものはいったい何なの?と、改めて調べてみました。

 

阿修羅として思い出されるのが奈良の興福寺にある国宝の阿修羅像。
おそらく、みな様のほぼすべての方が、この像を思い浮かべると思います。
一番有名ですし、仏像の中で一番好きと云う方も居られるかもしれません


確か以前に東京の博物館で『国宝 阿修羅展』が開催されました時に 
一大ブームがおきた記憶がございます。


ですが、阿修羅そのものは、この興福寺のものだけではなく、あちこちにあるのですね。
そもそもの「阿修羅」がどんな存在であったのかを書き始めますと長くなりますし
私も付け焼刃(笑)の知識ですので、ぼろが出てしまいます。

詳しいことは、皆様検索してください。


私たちが 寺院で見ます阿修羅は、仏を守護する眷属、八部衆のうちの一人です。

つまり、あちらこちらの寺に八部衆がおり、あちらこちらに阿修羅がいるというわけです(笑)

 

多くの阿修羅は三面六臂。


三面六臂とは顔が3つで腕が6本、合掌している2本の腕と
天にそびえる2本の腕は日輪(太陽)と月輪(月)を掲げ 中空の2本の腕は
かっては弓と矢を捧げていたとも云われているそうです。

 

みな様よくご存じの興福寺の阿修羅の顔は穏やかで 怒りの表情には見えません
憂いを秘めているとか、様々な解釈がある様ですね。

数年前には、興福寺の阿修羅は23歳と云う年齢が推定さるという研究が発表されたとか。


完成が734年と云う事ですから、今から1300年近く前にこれほどの完成度の高いものが
作られていたというのは 驚きです。

 


同じ阿修羅でも京都の三十三間堂にある阿修羅の顔は怒りに燃える表情をしております
『部屋子の部屋』でも語られておりましたが、今回の『日蓮』の阿修羅は
この阿修羅像をモデルにしているとのことです。

 

先日掲載しました猿弥さんの阿修羅の写真。
阿修羅を歌舞伎の荒事で表現しておりますので 赤っ面で顔はひとつですし、
腕も2本しかありません(笑)

ですが、三十三間堂の阿修羅を見ておりますと、何やら猿弥さんに見えてくるのも
不思議ですね。


私は興福寺は残念ながら行った事がありません。
三十三間堂は行っておりますので おそらく見ていると思うのですが、
覚えていないのが残念です。

今度京都に行ったときには 阿修羅目当てにもう一度見に行かなくてはいけないですね。

 

この阿修羅の表現、例えば映画の『シンドバット』や『トゥーム・レイダー』などにも
時々、似たようなものが登場致します。

 

何かの魔法で腕が何本もある石像が突然動き出して主人公と戦う
と云うような場面がよく出て参りますが 土地と宗教によって解釈は違うかも知れませんが 
このシバ神と云われる神 

でも私はおそらくこの姿形からは阿修羅だよね? と いつも想像してしまいます(笑)


所が変われば解釈も変わりますが どれだけ自慢しても人間の行いと云うものは所詮
お釈迦様の掌の中なのでしょうか?(笑)


心の中の阿修羅、清濁併せ飲んで人は存在しているのかも知れません