『小鍛冶』の演目、私が初めて見せて頂きましたのは1966年(昭和41年)4月
大阪新歌舞伎座での事でした。

 

この時の私 先代白鸚(八代目松本幸四郎)さんのお手伝いをさせて頂いており
最後の演目の『ひとり狼』に居酒屋の小女おあいに出して頂いておりました。

私、13歳の時です(笑)


『小鍛冶』はそのひとつ前でした。
舞台稽古の時に拝見しまして、とても好きになってしまった演目で
邪魔にならない様に花道揚幕からよく覗いて見せて頂いておりました。

 

『小鍛冶』はその名前の通り刀鍛冶のお話で 三条小鍛冶宗近は
およそ千年前に京都の三条粟田口に実在した人物です。

 

一条天皇から命を請け剣を打つことになった三条小鍛冶宗近には
実は相槌を打てるほどの技量を持つ弟子がおりません

 

刀はひとりでは打てず 必ず相槌を打つ人が必要です。

そこで稲荷明神にどうすればよいか?伺いを立てに参ります。

 

よくおしゃべりなどで頷く事などを「相槌をうつ」と申しますが、
本来の意味はここにございます。


お話がそれました(笑)


この『小鍛冶』の演目 この私が13歳に見た時から今回まで
本公演としましては中、6回しか上演されておりません
公演としましておよそ10年に1回の割合でしょうか?

 

なぜこんな楽しい良い演目ですのに これだけ上演回数が少ないのか。
みな様も不思議にお思いになりませんか?


以前この狂言は上演しにくいと書かせて頂きましたが、
その理由は猿翁十種『 小鍛冶』の本来の演奏は文楽座さんだからです。

 

大阪での上演ならまだしも文楽座さんを10数名 東京や名古屋などで
ひと月お借りするとなると宿泊代やなんやかや 莫大な費用が掛かります(笑)

それでもバブルの頃はわりと上演もされておりましたが、
文楽座さんの出演は猿翁旦那の前回の1997年12月の公演で最後となりました。

 

この時は文楽の竹本綱大夫さん以下 大夫さんが6名 三味線は鶴澤清治さん以下10名で
そうそうたるメンバーでした。


右團次さんの第5回右近の会の時は個人の会ですので
竹本さんたちが演奏をして下さっておりました。

今回もそれに倣い この様な時期なるべく文楽座さんとの接触を避けての意味もあるのか
歌舞伎の竹本さんが『小鍛冶』の演奏をして下さっております。


と云う経緯がありますので『小鍛冶』の前シテの三条小鍛冶宗近 童子のセリフは
文楽さんに倣い竹本さんが語りと云う形になっております。

そして間狂言は華やかに長唄になっております。


これも今までは3人の舞踊でしたが私も入れて頂き
5人となりましたのは曲も振りも違い初めての事です。

今日の写真は今回の私の宗近弟子の秋彦です。


1年のブランクがあります。 「猿三郎さん老けましたね」、のコメントは
みな様グッとこらえて頂くよう お願い申し上げます。

 

それは私が一番わかっております(笑)

 

散々家でも言われております。
コメントにまでは 御免蒙ります(笑)


ちなみに大阪国立文楽劇場では4月公演第3部に『小鍛冶』が
上演されております。(3日~25日)

 

本来でしたらこの演奏で猿之助さんが童子と稲荷明神を
踊っていたかも知れないと思うと両方見てみたいですね(笑)