1992年5月26日~6月3日 この日は記念すべき京都造形芸術大学にて
猿翁旦那の第1回歌舞伎講座が開催されました。


講師としての参加者は猿翁旦那 段四郎さん 他 おもだかや一門に竹三郎さん
弥十郎さん、門之助さん迄 参加しておられましたね。

生徒さんは歌舞伎の授業と云う触れ込みだけでしたが 私たちから見れば
なんとも贅沢な授業でした(笑)


1日目は紋付き袴でしたがデモンストレーションと称し、学生さんたちに所謂、
歌舞伎の見方として」

 

「歌」の部分、 三味線 鳴り物 ツケ はどのように使われるかの音楽等の説明
もちろん義太夫さん 鳴り物さんも参加。 

次に「舞」の部分、 実演として『連獅子』猿翁旦那と右團次さんの前シテの踊り、
さらに立ち回りはビデオや 私たちたちが猿翁旦那にからむ実演等を交えながらの解説

「伎」の部分は六方や女形のくどき(これは義太夫等にのせての一場面の動きと云う意味です。) 
これは猿翁旦那の先代萩政岡の場面の実演でした。

 


6日間盛りだくさんの講義の後 最終日には講師の私たちがお役をした動きなどを
今度は生徒さんたちが衣裳かつらをつけての発表会で締めくくるので 
学生さんたちも必死に見てくれておりました。

 


私たちも初めてなら学生さんたちもこんな機会は初めて、
まぁいろんな失敗談もありました(笑)


もちろん、連日講義の後には、夜遅くまでチームごとにお稽古を致します。
学生さんの帰宅時間もありますので、遅くならない様にと思いながらも、
22時を回ってしまい、ホテルに着いたら23時と云う事もしばしば。
 
私たちも分かれて分担してお稽古を見ておりました。

私は立ち回り担当でした。

 

前にも書いたと思いますが、10本ほどある小道具の刀をそれぞれの生徒さんに渡し
使ってもらっていたのですが、生徒さんが抜き身とさやをバラバラに使用するため
バラバラのまま「ありがとうございました。」と云って 持って来るので
1本1本 元のさやに刀が収まるまで大変でした(笑)

 

小道具とはいえ刀とさやの組み合わせは1本1本違います。

所謂ことわざにある「そりが合わない」と云うのはここから来ております。
また「元のさやに収まった」と云う ことわざもありますね(笑)

この時ほど、この2つの言葉の意味を実感した事はありませんでした(笑)


この失敗により2回目からは、さやと刀の抜き身に番号をつけ 照らし合わすようにしました。
先にやっていればいいのですが、痛い目に遭わないと思いつかないのですよね。


また私たちが見ていないところでお稽古をすると なぜか竹光の刀を折ってしまったり
「どうしたらこんな具合に折れるの?」 と 問いかけたいくらい。
折った瞬間逆に見たかったわ とヤケクソになってしまいそうなくらいです。

もちろん小道具さんは同行していないので 私たちが直さなくてはなりません(笑)

 

2日目の『封印切』の実演の時には封印を切って小判をバラまくのですが、
小道具箱には300両の切り餅(小判の包みを私たちはこう呼んでおります)6つの他
バラ銭(小判)が多数入っていたのですが、本番で右團次さん扮する忠兵衛が
封印を切れども切れども封が切れません

仕方なくそのまま、300両と云って差し出したのですが、私と猿四郎さん(小道具係)が
後で叱られました。


よく封紙の中を見たら小判を重ねてテープがグルグル巻きに貼ってあって 
「これじゃあ切れないわ~、」と 小道具さんに文句の電話をかけましたら
「バラ銭と包み紙が入っていただろ? 封が切れる小判はあれでその都度 作るんだよ!」
・・・と

 

劇場でもその日に使う封の切れる小判は小道具さんが作り 
忠兵衛役の人の部屋に届けるのだとか・・・。

そこまではさすがに知りませんでした(笑)

・・・文句を言ってしまいごめんなさい。


2回目からは私と猿四郎さんとで、封印切の小判 作る役目となりました(笑)
封印を切るよりも、封をする方が得意になってしまいました。

 

もちろん、役得?と云いますか、確認の為に封印切も しっかり試しました。
芝居の中で切るのとは心地よさも違いましょうが、やっぱりやってみたくなります。


まだまだ失敗談は数え切れないほどございます。
ですが、その失敗をしなければ知る事もなかった事を たくさん勉強させて
頂いたと思います。