先日の弘太郎さんの『不易流行』出演させて頂き お陰様でみな様から
大変ご好評を頂きました。

ご視聴いただきました皆様、ありがとうございました。


私も見せて頂きながら 見終わった後で「あぁ~ あれも云えばよかった 
これも云えばよかった、」と 本当に後悔先に立たずでした(笑)

 

 

そこで先の配信の補足ではありませんが チラッと言いたかったな、云えばよかったな

と思っていた事を書かせて頂きます。

配信の中では、色々な話が出ましたが、「吹替」に関する事も話題になりました。

 

 

私が猿翁旦那の吹替を初めて勤めさせて頂いたのは1977年4月明治座でした。

 

『神霊宇和島実記(宇和島騒動)』 (後年、外題が『君臣船浪宇和島」と変更)でした。
これは顔を全く見せず 猿翁旦那が山辺清兵衛のお役で 悪人どもに
蚊帳をかぶせられ 仲間の胴助との早替わりの間 蚊帳にもまれて斬り殺されて
蚊帳事、抱えられて花道へ入ると云う、云わばお化粧も衣裳もかつらも
まるで要らない吹替(笑)

 

ですが、もちろんお化粧と衣裳は 見えなくとも付けておりました。
かつらは どうやっても客席からは見えないし 壊れるからと旦那がナシでいいと・・・(笑)

頭には手拭いを巻いておりました。

いくら見えないとはいえ、吹替えとしてはお化粧をして衣裳をつけて。

地頭ではなく、せめて手拭いを。

これは私にとってのこだわりであり、プライドのようなものでした。

 


その次の月の5月に京都南座で『四の切』の忠信の吹替を初めて勤めさせて頂きました。

これは嬉しかったですね、旦那と同じお化粧をして 同じ狐の毛振りの着物を着、
かつらも専用の狐元結のかつらで・・・(笑)

 

それ以来、忠信の吹替は600回以上は勤めさせて頂きましたでしょうか?

 

それ以外での回数の多い吹替は男女も入れて、

袖萩 江戸兵衛 久松 お染 小碓命 小平次  仁木弾正 絹川与右衛門 岩藤 
他 数え上げたらキリがありませんね(笑)

 

お役の名前だけで演目が出て来られる方はかなりの通です(笑)


実は猿翁旦那以外の吹替も私 わりと多いのです。

これが云えばよかったなあと思った事の一つです(笑)

 

旦那の吹替えと云えば、私。

と云うのが、一時期のおもだかやの、そしておもだかやのファンの方の間での通例(笑)

ですが、他の方の吹替えも割とやっておりました。

 

澤村宗十郎さんの『忠節夫婦松』の白川主殿の吹替は 1982年10月、

新橋演舞場のこけら落とし公演で勤めさせて頂きました。

 

また『四の切』の忠信の吹替は 猿翁旦那以外にも、海老蔵さんの公演でも勤めさせて頂きました。

右團次さんの忠信の時は 別の方がやられておりましたが・・・。

 

そして猿之助さんの『お染の七役』の久松の吹替、等々。

 

 

変わり種は2002年6月中日劇場での『西遊記』

 

この『西遊記』はいつもの『華果西遊記』が一幕だったのに対して、
孫悟空(右團次さん)が 天界にて無法を尽くし 三蔵法師(笑也さん)によって
戒められる場面から天竺へ向かうという 発端の場面も書き加えられ さらに
八戒(猿弥さん)沙悟浄(喜多村緑郎さん)を順に伴う場面もありました。

 

2幕に入ると 笑也さんの二役で地獄界で苦しむ三蔵の妹、白蓮も登場し、
三蔵法師を苦しめると云う鬼女に変化した早変わりの場面で その鬼女白蓮を
私、猿三郎が勤めさせて頂きました(笑)

 

呪縛が解け 成仏して綺麗になってからはまた元の笑也さん(笑) ま、仕方ないですね。

 

この『西遊記』の通しは中日劇場だけでしたが、お話としては面白かったですね。

 

 

勤めさせて頂いた一つ一つの吹替には思い出があります。

 

しかし例によって吹替を勤めている私の名前は当然、筋書きにはありません
記録としては残ってはおりませんが、私の記憶には残っております。


もう吹替と云うお役は卒業でしょうが、お役の出来なかった時に
それなりの扮装をさせて頂き ある意味 座頭気分を味あわせて頂きました。


吹替に感謝です(笑)

旦那と体型が似ていた(いた・・・です、一応過去形(笑))ことに感謝です。

たくさんの早替わりで 吹替の必要な演目が立て続けに上演されていたあの時期に

心から感謝です。

 

今残っている吹替えの扮装写真は数枚しかありません。

数枚しかありませんが、宝物の一つです。

 

 

弘太郎さんも言って下さっておりましたが、歌舞伎名作DVDの中では、

『義経千本桜~川連法眼館の場』『ヤマトタケル』そして『慙紅葉汗顔見世』

で、一瞬ですが吹替え見て頂けると思います(笑)