昨日は私の知っている道頓堀と 現在までの様子を書きました。
改めて、ここ30年くらいの変化は本当に大きなものと感じました。

 

もっとも、新しくなった跡地を列記して驚いたのですが、
ほとんどがインバウンド向けの店になっておりましたので・・・

コロナ後にはまた道頓堀の街も大きく変わってしまうのかも知れません。



さて、『おちょやん』の世界に戻りまして、私がもう一つ気になりましたのが
おちょやんのいる「芝居茶屋」と云うものが一体いつまであったのか?

 

もしかしたら、もしかしたらですが、今後の『おちょやん』の物語に
関わって来るかも、かも 知れませんので、知りたくない方は
この後はお気を付けください。


一応忠告は致しました(笑)



例えば現在、松竹座でお芝居を見ようと致しますと、チケットはネット購入、
古くは電話、もっと前は劇場切符売り場で前売りを買う
と云うのが当たり前の事でした。

 

あ、プレイガイドという手もありますね。

もしくは私たち役者を通じてや、後援会を通しての購入の方法もあります。


『おちょやん』の時代、升席などは芝居茶屋を通して買ってました。
もっと古い時代、それこそ江戸時代は、夜明けとともに芝居が始まり、
日暮れと共に終演でした。
幕間に芝居茶屋で食事をしたりといった丸一日の娯楽だったそうです。



明治の初期には道頓堀には63軒の芝居茶屋があり、
大正9年には13軒になっていたとか・・・。

 

『おちょやん』の時代はちょうどこの位から、今放映しているのは
昭和初期あたりでしょうか。

まだある程度の芝居茶屋は残っていたと思われます。


そんな芝居茶屋なのですが、道頓堀に一体いつまであったのか、
調べてみましたが、はっきりとは致しません。

記憶の中には、あった気がするのです。
中座のあたりに。

 

もっとも、それがチケットを斡旋してという、旧来の芝居茶屋なのか
単に、芝居の前後にお客さんが食事をするところだったのかはわかりません。

そして、おそらく現在は お茶屋さんと云う存在そのものがないかと思います。 



ネットで検索した限りの情報で、まだちゃんとした確証はもてませんが
どうも、昭和の最後くらいまでは「松川」という芝居茶屋が
中座の前にあったようです。

 

1978年の新聞記事に、女将さんの話が載ってましたので、
おそらくこの頃まではあったという事は確かではないかと。

私の記憶に引っかかっているのは これでしょうか?

 

家人もうっすらと昔中座の前に ちょっと気になるものがあった気が・・・
と云っておりましたので、同じかもしれません。

 

地図にちょうどこの位置に「松川ビル」なるものがあるのを確認。
位置的に、今回転ずしのお店がある処かな?


ストリートビューで見ましたら、ちょっと風情のありそうな作りの
建物になっておりました。

過去の記録を見ますと、千代ちゃんのいた芝居茶屋のモデルに
なっている芝居茶屋もこのあたりにあったようです。

 

どなたか、記憶に残っておられる方おられますか??



一体いつまであったのか、ちょうど戦争を挟んでしまっておりますので
ほとんどがあっても戦前まででしょうか?

 

大阪に居たら、色んな資料館などにも足を運んでみたいのですが、
現状ではどうにもなりません

 

うちの資料も、江戸、東京の物は多いのですが、大阪のものは
逆に持っておりません。


図書館も江戸のものはあっても、関西のものは京都が中心でした。
もう少し調べてみようと思います。


明日は、調べている途中に見つけたあるものについてです。