今日のブログ、え?猿三郎旅行中?

と思われた方も居られるでしょうか?

 

いえいえ、そんなはずはありません。

私は電子キーボードを友として、相変わらずのステイホーム中。

 

先日改めて思い返しましたが、今年に入ってから、徒歩圏内しか活動してません。

板橋区、北区、豊島区の三区から出てもいないという(笑)

とっても、狭い地域の中で暮らしております。

 

 

旅行と勘違いされた方も居られるかも知れませんが、この言葉は別の意味です。

今の若い人たちはご存じないかも知れませんが、緊急の呼び出しの時に
駆け付ける事を「いざ鎌倉」と申します。


これはお能の『鉢木』の中にも登場する物語なのですが、鎌倉時代の第五代執権、
北条時頼は入道して最明寺時頼と名乗っておりました。


そしてその身分を隠して旅僧となって諸国行脚を巡るある雪の日、
一軒の明かりを頼りに一夜の宿を願った家が、佐野源左衛門常世と云う
落ちぶれた武士の家。


常世はせっかく来てもらった旅僧に、自分は一族に佐野庄三十余郷の領土を押収されて
貧しいゆえにもてなす術がなく せめてもの暖をと大事にしていた
梅、松、桜の盆栽を切って薪として囲炉裏の火にくべました。


そして「今は貧しいが いざとなって鎌倉殿(執権)に一大事がある時は
何をおいても馳せ参じる所存」と 胸の内を熱く語ります。

旅の僧、実は時頼は秘かに感動しました。

 

やがて鎌倉で武士たちに招集がかかり、集まった武士の中に
ひと際みすぼらしい佐野源左衛門常世が居たそうです。

 

北条(最明寺)時頼は改めて名を名乗り 常世を褒め称えたそうです。

そして押収された佐野庄三十余郷の領土を返し さらに
梅田の庄 松井田の庄 桜井の庄と鉢の木の名称の庄と
小田原城を恩賞として与えたそうです。

 

有名な『鉢の木』のお話ですが、この物語が「いざ鎌倉」
と云う言葉の発祥となったそうです。

 


余談ですがこの佐野の庄は下野の佐野、つまり歌舞伎『籠釣瓶花街酔醒』に登場する
佐野次郎左衛門の里です。  常世はあるいは先祖かも知れません(笑)

 

「いざ鎌倉」 私は火にくべて燃やせる盆栽はありませんが、
「いざ鎌倉」の時にいつでも舞台に立てる志だけは燃やし続けております(笑)