昨日の「変わるもの」この30年ほどの間に、歌舞伎の公演に於いての
宿泊事情は本当に変わってしまいました。

歌舞伎に限らず、日本の宿泊事情が大きく変化してしまった
と云う事でしょうか。


仕事が、狭い空間で決まったメンバーで 毎日同じことをしておりますので、

今のように宿泊にプライベートの空間は 本当にありがたいと思います。
自分のリズムで生活できるという事ですから・・・。


でも、少し残念な事もあります。
昔は、先輩、後輩、同輩と同じ部屋だったりいたしましたので
必然的に話す機会も多くなりました。

 

昔昔、それこそ巡業中に大宴会場での大人数での宿泊の時の思い出です。

確か、当時の名題下12~13人が同じ部屋でした。

 

夜もある程度遅くなりますと、飲みたい人、話したい人は
隅っこで固まって好きな事をしておりましたし、

宴会場の舞台の上では、静かに静かに 麻雀大会が始まります(笑)

皆がそれぞれ別の事をしながらも、一つの部屋での空間を満喫しておりました。


食事の時なども、飲む人もおり、飲まない人もおり。
ですが、芝居が好きな事には 変わりありませんので、
飲んでも飲まなくても 熱く芝居の話を語り合いました。

 

先輩の話もやはりみんな役者ですから、話すのが上手いんですよね。

それこそ 身振り手振りを加えて・・・(笑)


今はなかなか年代を問わない様なメンバーで飲みに行くのは
少なくなりましたね。

 


そう云えば、30年くらい前までの軽井沢のお稽古場でのお稽古もそうでした。

 

天翔館の出来る前は、倉庫を改装した建物がお稽古場でした。
どのくらいの広さでしたか・・・
夜には20人くらいが向かい合って 枕を並べて寝て居られるくらいの広さ。

そんなに広くはありません


寝起きを共にし、同じように食事をし、稽古する。
そんな生活が毎年 新作や舞踊会の度にありました。


とにかく、別荘地ですので、車がない事には何にも周りにはありません
閉じ込められている訳ではないのですが、閉じ込められている
としか考えられなくなるような空間でした。

 

苦しかったのですが、それでも楽しかったし、たくさんの思い出があります。

20歳そこそこの人から、上は誰が最年長でしたっけ?
私や欣弥さんが上の方でした。


そうそう、天翔館ができてからは 毎晩部屋子連中や私なんかは、
猿翁旦那と共にビデオの鑑賞会をします。 それも、何本も。

 

私は映画好きですので、それは苦痛ではなかったのですが、
ときどき、どうもこれは 見ているのも微妙と云うような
映画ありますよね、途中で見るのを止めたくなるような。

 

そんな映画でさえも、猿翁旦那はジッと黙って見続けてます。
私にはある意味苦痛だったのですが、旦那が見られている以上、
私たちも見続けるしかありません。
眠い目をこすりながら。


「旦那、この映画面白いですか?」

 

旦那、なんて答えられたと思います??

 

「面白くない! でも、このどこが面白くないかを考えている」

 

・・・旦那らしい・・・

今の猿之助さんだったら、誰にも聞かず問答無用で停止ボタンを押しそうです。

 


ある一本の映画なんかは、あまりにも皆が夢の中に行きかけたので
紫先生に陳情して(笑)途中で止めてもらった事もありました。
助かった!(笑)

 

こんな経験、それこそ部屋住みくらいの人ではないと
なかなか体験できないと思いますが、軽井沢の稽古場では
そば近くたくさんの時間を過ごさせて頂きました。


ビデオ鑑賞は日付が変わり、真夜中まで続きます。

私が何よりもつらかったのが、皆どうしても夜型人間で なかなか寝ない分、

起きるのが昼近いのです。

 

ところが私は今でもそうですが、遅くまで起きていたとしても 7時には目が覚めます。
太陽が昇ってしまうと、寝ていられないのです。

朝ごはんも時間遅いし、コーヒー飲みに行きたくても、
下界(駅前と云う意味です)までは 足がなくて行けない。

 

私がバイクの免許を取った理由はここにあると、以前にも書かせて頂きました(笑)

 

軽井沢のお稽古場も、天翔館が出来 本館も新たに作られて 別の宿泊用の部屋が出来ました。


名題になっての最後の方は、駅前のホテルの宿泊のメンバーに入れてもらいまして
合宿は免除されましたが、ずいぶんと長い間、合宿稽古をしましたね(笑)

 

小さい方のお稽古場の時は 何週間も泊っておりますと ストレスもたまり 

血気盛んな男ばかりが集まっておりますので、お酒が入ると喧嘩になる事もありました。


また、みんなでバーベキューや鍋大会などもしました。

鍋にすき焼き、4~5人づつ各テーブルごとに作るのですが、
私のいるテーブルはたいてい私が鍋奉行、すき焼きなんかは
「ここのすき焼きが一番旨い」と云って 皆に褒めてもらったりもしました(笑)


そんな時間を過ごした軽井沢のお稽古場も 旦那が病に倒れられてからは
引き払わざるを得なくなりました。      今はもうありません

 

そして今ではそんな 合宿稽古のような時間が なかなか取れなくなりましたね。
時々は、若手を誘って飲みに行ったりも致しましたが。
その時には やっぱりみんな芝居の話で盛り上がります。

 

澤瀉屋の一門は、なかなか馴染みがなく、敷居が高いと思いますが、
国立劇場の上げ浚いの会には、単身乗り込んでいる人もおります。

 

以前、絵画展をさせて頂いた時には、段之さんをゲストに
三回のトークショーをさせて頂きましたが、
それぞれが舞台の出番もある中、たくさんの若手が自主的に
聞きに来てくれました。


旅の形式は変わり、皆がある種 強制的に同じ空間を
過ごさざるを得ないと云った事は 無くなってしまいましたが、
それでも芝居好きの系譜は脈々と受け継がれております。


変わり続けるものの中で、芝居好きの若手の情熱のようなものは
変わらないものであってほしい。

 

昔々、若手だったおじさんは思います(笑)