『天衣紛上野初花』(河内山)『茨木』『新皿屋敷月雨暈』(魚屋宗五郎)
『北条九代名家功』(高時)『紅葉狩』『極付幡随長兵衛』(湯殿の長兵衛)
『都鳥廓白波』(忍の惣太)『三人吉三廓初買』(三人吉三)や
『花街模様薊色縫』(十六夜清心)『処女翫浮名横櫛』(切られお富)
『青砥稿花紅彩画』(白浪五人男)

 

さて この作品の共通点は何でしょうか?(笑)


これらの作品はたった一人の作者が書いたもので、すべて河竹黙阿弥さんの
書かれたものです。

 

もちろん これが作品のすべてではありません 上げていない作品の方が多いのですが
上の作品はみな様 必ず一度はご覧になられた事がある筈です。

 


近松門左衛門 鶴屋南北と並んで 三大歌舞伎作者と称されており
今日はその河竹黙阿弥さんのご命日だそうです。

1893年(明治26年)の今日、1月22日に お亡くなりになっております。


明治のこの時期 歌舞伎界は大きな変貌を遂げます。
明治20年4月井上薫邸で行なわれた天覧歌舞伎。

 

歴史的に蔑まれて来た歌舞伎が明治天皇の前での上演により一躍、
芸術性の高い演劇として認識されるようになったのです。

 

劇界において九代目團十郎 五代目菊五郎 初代左團次を讃えて「團菊左」
と呼ばれておりますが、その3人を支えた狂言作者として河竹黙阿弥さんを
外すわけには行きませんね。

 

白浪五人男の中の弁天小僧が、浜松屋の店先で自分の名前を明かすとき、
セリフの中で 「ここやかしこの寺島で 小耳に聞いた○○の 似ぬ声色で
小ゆすり騙り、名さえ所縁の弁天小僧 菊之助たぁ~ 俺が事だぁ~。」

 

この『青砥稿花紅彩画』(弁天小僧)は五代目菊五郎さんのために
黙阿弥が書き下ろした作品です。

 

ご子息である六代目菊五郎さんが弁天小僧を勤められると○○のところに
小耳に聞いた「とっつぁんの」と入り 現在の菊五郎さん 菊之助さんが勤められると
小耳に聞いた「祖父さんの」なります。 

 

また他のお家の方が勤められると小耳に聞いた「音羽屋」の台詞に変わります。

ご存知でしたか? 

 

今度、弁天小僧の浜松屋が出ましたら注意して お聞きになってみてください(笑)

 

 


黙阿弥ものを好きとおっしゃる方は おそらくとても多いと思います。
近松や南北に比べますと、時代的にもずっと現代に近い事もあり、

作品の中に江戸の粋が入っており 内容もわかりやすく、とっつきやすい物語も多いですね。


先に上げました作品の中では、私が出演した事がないのは、
『極付幡随長兵衛』『十六夜清心』くらいでしょうか?
『茨木』も出た事はありませんが、お幕揚げを一月してました。


皆様はこの作品の中で どれが一番お気に入りですか?

 

私は、甲乙つけがたいですが、やはり『弁天小僧』でしょうか?
この演目では、若い頃には稲瀬川の黒四天、浜松屋の手代、
変わった処では幕切れ花道での按摩(坊主持ちの按摩です)

 

名題になってからは鳶頭の清次、なども勤めさせて頂いた事があります。

ひとつの作品で色んなお役をさせて頂いたのも『弁天小僧』が
一番多いでしょうか?(笑)

 

いつかは五人のうちの一人に・・・なんて 云うのだけは自由です。

 

あ! 「知らない五人男」は演じた事ありますよ(笑)