ここのところ、毎日数時間は電子キーボードの前に居ります。

何しろ時間だけはたくさんありますので。

 

先日は、右手だけの映像をアップしましたが、現在は両手を勉強中。

動かない左手を叱咤激励しながら、一曲を仕上げようと頑張っております。

 

何しろ時間だけはたくさんありますので(笑)

 

 

話は変わりまして、毎日こんな風に歌舞伎から離れた状態で過ごしております。

生活には困らない、物はある、元気で過ごせている。

ただ、移動できない、遊びに行けないと云ったこのご時世。

 

江戸時代の天保年間は全国的な凶作による米価・物価高騰や大飢饉 
百姓一揆 打ち壊しがなどが起きていました。

大坂では大塩平八郎の乱もあり あれにあれた時代でした。

 

そこで老中の水野忠邦は奢侈禁止令を発し 贅沢は禁止 歌舞伎の上演をも禁止しました。

やり玉に上がったのが豪華な自宅に住み 人気役者として派手な暮らしをしていた
七代目市川團十郎、江戸処払いとなり成田山新勝寺にて蟄居した後 駿府へ移り
江戸に復帰できたのはそれから七年後の事でした。

 

その後も江戸では芝居を打たずに 旅芝居や上方での歌舞伎上演が多かったそうです。

 

別に團十郎が悪いわけではなく 無理やり罪状を作り 江戸庶民の贅沢を禁止するために
見せしめ的に処罰されたのです。

 

 

今の時代とはもちろん違いますが、今も歌舞伎の上演がなかなか難しい時代。

 

振り返れば歌舞伎は出雲の阿国から始まって やがて女性の歌舞伎踊りは禁止され
女性そのものが歌舞伎の舞台に上がる事も禁止されてしまい
若衆(少年)歌舞伎となりました。

 

しかし その若衆歌舞伎も禁止され 野郎歌舞伎と云われる成人男性が演じる
現在の歌舞伎へと移り代わって参りました。

女性が舞台に上がれないので 苦肉の策として 男性が女役を勤める女形が誕生したり
それが新しい文化ともなりました。

 

禁止に次ぐ禁止、それに対しての変化がなければ、出雲のお国から始まる歌舞伎と云うものは、

時代のどこかで消えてなくなっていたのかも知れません

 

 

戦後はGHQなどの歌舞伎の思想的な検閲もあったりと 何回もの難しい時代を経て、
今の歌舞伎に続いております。


ですが今もまた劇場で満員の客様を入れらないと云う危機に面しております。

ここでまた新しい歌舞伎、配信歌舞伎なるものが誕生しております。

 

なんらかの岐路を見つけて はたして次の時代に生き残るのは
どのような歌舞伎なのでしょうか?

どのような事があっても不死鳥のように蘇るのが歌舞伎です。

 

 

今の世の中を経たからこそ、新しく作られる歌舞伎の歴史もまた、

あるのかも知れませんね。

 

そう云う風に前向きに考えて行きたいと思います。

 

いつの日か収まって、元通りになってくれないと・・・

私歌舞伎役者ではなく、ピアノ奏者になってしまいます!

 

・・・って事はさすがにないですね(笑)すみません。