明日、十二月十四日は忠臣蔵で云う、赤穂浪士の討ち入りの日ですね。

1日前の今日 浪士たちは何を思い どんな行動をとっていたのでしょうか?


猿之助四十八撰の演目の中に『二十四時忠臣蔵』と云う討ち入り前夜から
討ち入り迄の24時間を扱った作品がございます。

1987年12月に歌舞伎座で上演されました。

 

幕開きは『仮名手本忠臣蔵』の形を借りながら高師直から吉良邸の寝所へとつづきます。

そして由良之助の「南部坂雪の別れ」の場面へつながり その後「四谷怪談」の
お話から民谷伊右衛門への敵討ちへとつづきます。

この時の瑶泉院は梅幸旦那でした。

 

民谷伊右衛門は塩冶(赤穂)浪士でありながら 金の為に討ち入りに加わらず
吉良方と通じておりました。


伊右衛門の妻のお岩 浪士である佐藤与茂七の妻のお袖はお岩の妹 
伊右衛門の四谷左門殺しから 直助権兵衛の与茂七殺し(実は奥田庄三郎)

複雑な因縁がからみながら舞台は「土屋主税」邸へつづき 討ち入りまでに起こる
1日の目まぐるしい事件を舞台は追いかけます。


浪士たちは吉良邸討ち入りを果たし 主人の仇を討った後 
佐藤与茂七は因縁のある伊右衛門を討ちに駒込の
六義園にやって来ると云う二重敵討ち(笑)


この『二十四時忠臣蔵』から発展して『四谷怪談忠臣蔵』となりましたので、
『二十四時忠臣蔵』としての完全な形で上演されたのは後にも先にもこの一回だけでした。

 

かろうじて 舞台中継は放送されましたが・・・。

 

猿翁旦那は高師直 吉良上野介 大石内蔵助 民谷伊右衛門 
佐藤与茂七 土屋主税という 六役を早変わりされておりました。 
まさに、猿翁旦那の真骨頂。

 

と云う事は、当然私にも出番がございます(笑)
猿翁旦那の早替わりには 私の吹替えがつきもの(笑)というのは
一時期の舞台を見て下さっていた方には、ご存知の事でしょう。

 

吹替えばかりしていたので出演していたにも関わらず、
出演データベースに私の名前がない・・・という作品もたびたび(笑)

 

この舞台において、私は、六義園の大立ち回りの伊右衛門の吹替えを
勤めておりました。 佐藤与茂七の吹替えは右團次さん

 

六義園の大立ち回り、スーパー歌舞伎セカンド『ワンピース』での
戸板を使った立ち回りの原型が ここにございます。

 

戸板を使って立ち回りをしながら 更に早替わりまでしてしまいますので
本当にすごいアイデアだったと思います。

早替わりでは、早替わっている本人も大変なのですが、
周りの人間も大変なのです。

 

戸板は捕り手が持って 目まぐるしく動いておりますから 

衣裳さん、床山さん、お弟子さんなどなどが その動く戸板に
身を隠しております。


ピットインした旦那は 無駄には動かず、周りの人間が一斉に着付けます。
そのピットインを戸板の裏で行いましたので・・・
舞台稽古が大変だったのを 覚えております。

 

逆に私は、ずっと伊右衛門ですので、もちろんピットインでの着替えをした事は
ありませんが、戸板に消えたり、戸板から現れたり。


幕切れは 伊右衛門の猿翁旦那が「まずこんにちは これ切り~」と云いますと
四天が囲み、捌けると今度は 与茂七の猿翁旦那が登場。

私の伊右衛門は 与茂七に斬られ裏向きで苦しんで「チョン!」 


千穐楽の日 カーテンコールで猿翁旦那が後ろ向きの吹替えの私を
正面に向かせ紹介して下さったことが 今でも忘れられません

戸板の中で伊右衛門と与茂七の10数回に及ぶ早替わりは
今でも伝説的になっております(笑)


いい演目に、いいお役で出させて頂いたと思います。
全く記録には残っておりませんが 私の記憶には 鮮明に残っております。