私は30歳前に大阪を引き払って東京へ移りました。


当時はまだ大阪松竹座はなく 中座も松竹新喜劇の牙城でした。

従いまして大阪での仕事がほとんどなく 猿翁旦那の仕事で
東京ばかりに来ていたので、移ってきたわけです。

 

 

最初に住んだのが板橋区であった事から、何度も引っ越しを繰り返しましたが、

ほぼ一つの駅の周辺の狭い範囲をくるくると回りながら住んでおり もう38年にもなりました。
ふと気が付きましたら、大阪での暮らしより東京在住の方がすでに長くなってしまいました。

大阪の学校時代の同級生からすれば大阪を捨てて、東京に身を売った、
と云った処でしょうか?(笑)いや、大阪人なら「魂売りよった」でしょうか(笑)

 

 

そんな板橋区民ですが、この板橋の由来はすでにご承知の如く
旧中仙道の石神井川にかかる板橋からです。

 

このあたり一帯は昔は板橋村とも呼ばれて居りました。

これは昔豪族の豊島氏がこのあたりを治めていて練馬城 豊島城 板橋城
と数々の城があり その城跡も確認されております。

板橋区内にも、城跡がいくつかあるようで、板橋城以外にも、志村城、赤塚城と。

 

板橋氏は豊島氏の一族だったそうです。
練馬も豊島氏の中の馬術に長けた人が馬の鍛錬所として練る馬を使い
その名がついたとか・・・? 

面白いですね(笑)

そう云った地元の由来がわかると興味深いです。

 

 

ですが30数年も住んで居て、一番近くにあり 知っていても
入った事のないお寺もございました。

 

以前、仲宿のいつも行く整骨院さんのおとなりの文殊院も
知ってはいましたが『暗闇の丑松』のお芝居で板橋宿の
女郎の投げ込み寺と知って行ってみる事にしました。
これもご縁でしたね。


最近行きましたのはうちからほんの数分の所の「日曜寺」

真言宗のお寺でご本尊は愛染明王、だからこの通りを愛染通りと云うのか(笑)
通りの名前は知っていましたが 由来までは・・・(笑)考えた事もありませんでした。

 

実は、最近休日には本当によく散歩をしているのです。

平日は仕事の家人が、「朝出て行く時と 夜帰って来た時同じところに座ってる!」

「引きこもりのおじさんはたちが悪い!」と休みごとに散歩に連れ出されます。

 

大体1万歩前後を歩いておりますが、そんな時に、ふと気になるところには

積極的に入って行くようにしておりました。

 

知っていたけど、知らんかった!な発見がたくさんあります。

 

 

そんなこの日曜寺 八代将軍徳川吉宗の第二子の田安宗武の帰依にて
造営されました。

その子 松平定信は寛政の改革で有名ですので、歴史に疎い方でも

聞いた事があるのではないでしょうか。


この山門の文字はその松平定信が父宗武の生誕百年に合わせて
奉納したものだそうです。

こんな近くにそんな貴重なお寺があるとは、全く知りませんでした。

 

 

そこで、ふと疑問が。

 

「日曜」って認識が江戸時代にあったの??

 

朧げな認識では、「日曜日」というものは、太陽暦をもとにしたものですので、

もちろん近代に入ってから日本にもたらされたものじゃなかった?

 

江戸時代の中期に造られたこのお寺の名前に どうして「日曜」と云うものが?

 

気になりましたので、家で調べました。

調べてまたまたびっくり。

 

日曜日に休みと云う意味が付加されたのは、明治以降の西洋の文化が入ってから

ですが、「日月火水木金土」というものは、九世紀に空海が唐から持ち帰った

書物の中にかかれていたものだそうです。

平安時代の日記にもその日が何曜日かと云う事が記されているとか。

 

へ~と思い、画像を検索しましたが、確かに藤原道長の『御堂関白記』なるものに

曜日が振られてました。へ~!!!

 

真言宗のお寺ですから、空海が曜日を持ち込んだことと 関係があるのか?

ないのか??関係あるなら、もっと全国に「〇曜寺」なるものが ありそうですが・・・

 

結局、日曜寺がなぜ日曜寺なのかはわかりませんでしたが「日曜」という認識が

ずっと前から存在していた事は わかりました。

 

猿散歩 遠い処ばかりでなく近場も網羅したいですね(笑)

そして、気になった事は調べると 結構面白い事が見つかるものだと

改めて思った猿散歩でした。

 

ちなみに、今日も祝日でしたが、今日は雨は上がりましたが 一日中曇ったままで

天気が良くなかったので、一日おうちでゆっくり日でした。

 

その分明日は出かけます。

さて、明日の行先は どこでしょう(笑)