先日に行きました横浜旅行、「港の見える丘公園」からは
横浜ベイブリッジが綺麗に見えました。


1990年9月渋谷パルコ劇場で上演されました『雪之丞変化2001年』

もうこのブログでも何回も紹介致しましたが、前作『伊吹山のヤマトタケル』の時に 

猿翁旦那がおもだかや一門の若手を「21世紀歌舞伎組」と名付けて下さりました。

 

その第2弾として横内謙介先生が書き下ろして下さった 歌舞伎からちょっと離れた 

現代や宇宙人も登場する 新劇風時代劇です(笑) 

もちろん劇中劇では歌舞伎の場面もございます。

 

 


このお芝居の幕開きはまさにこの横浜ベイブリッジを見上げる
ベイサイドから始まりました。


時は21世紀の2001年、ベイサイドのバイクの横で
現世を絶望したユキヒコが、あるDJの番組にリアルタイムで
電話をかける処から始まりました。

 

ユキヒコがバイクにまたがり ベイサイドで自殺の実況中継をしながら
絶望の壁に向かって激突・・・。

 

DJとラジオのリスナーたちはそれぞれその実況を聞いております。

 

救急車が呼ばれ、病院へ運ばれましたが意識不明の重態、

そんな中 混濁する意識の中に現れたのはある宇宙人、名前は闇太郎。

そしてユキヒコの前世の模様を語って聞かすのでした。


ユキヒコの前世は江戸時代、女形を得意として
父を殺した仇を探していた歌舞伎役者、中村雪之丞。

そして手術が行われている間に 前世の物語が進みます。


手術を担当するのは前世で雪之丞が愛した浪路の生まれ変わりの青年。

そして、DJとリスナーはすべて前世の物語に絡んで参ります(笑)

 


と云った未来を見据えたお芝居でしたが、上演されたのももう30年前もです。

今では、ラジオに電話でと云うよりも SNSでという事になるでしょうか?

それこそ、動画でも可能ですね。


少し前の事のようですが、本当に遠い昔の話になってしまっております。

 


横浜ベイブリッジが完成したのが1989年9月で このお芝居のちょうど1年前。

 

お芝居の台詞の中にも出て来る東西冷戦の象徴である 
ベルリンの壁が崩壊したのも同じ年の11月。


東京湾のレインボーブリッジは、まだ完成していませんでした。

 

その時点での2001年と云いますと 本当に遥か未来のように思ってました。

その未来だった21世紀もあっという間に もう20年も過ぎ去ってしまっておりますね。

 

ちょっと記憶が怪しいのですが、この作品当時、1990年に電話での実況と云う事は

あの肩から下げるでっかいショルダーフォンくらいでしょうか?

ちょっと調べましたら 少しコンパクトになっておりましたが、まだ1キロくらいとか(笑)

 

その時点で考えた2001年の話ですから・・・(笑)

どんなものをどう使っていたでしょうね(笑)

いま改めてもう一度見たい舞台ですね。

テレビ放映されましたので、ビデオでは持っておりますが・・・DVDにはしてなかった

様な気がします。

 

 

あれから何度も来ている横浜でしたが 横浜ベイブリッジと云うと
どうしてもこのお芝居の印象が強いです。

 

ですが『雪之丞変化2001年』のお芝居を
ご存知の方ももう少ないでしょうね(笑)

 


夏の軽井沢で合宿生活でお稽古していた事も思い出されます。

合宿の名の通り、稽古が終わると稽古場で夕飯 その後布団を敷いて雑魚寝、

ごはんもみんなでお手伝いをしながら 作っておりました。

 

あの頃、まだ30代でしたので、それも乗り越えられたのでしょうね。

みんな若かった(笑)

おそらく最年少だった?笑三郎さんと春猿さん(河合雪之丞さん)とが20歳前後。

寿猿さんも還暦前?(笑)

 

今ではみな等しく30年の年月を重ねてますね。

 

    
明日へつづく