今月の歌舞伎座、第4部で上演されている玉三郎さんの『楊貴妃』
これまでにも何回かの上演記録がございます。

これは映像と舞踊だそうですので、ストーリーは
どうなっているのでしょうか?


私は残念ながらこの作品にはご縁がなく 見た事がありませんので、
何とも言えませんが、別のお芝居の『楊貴妃』には 2度ほど出演させて頂いております。

 

この時の『楊貴妃』は中村福助さん

 

福助さんはこの演目、3回上演されておられます。

初演は1997年12月国立劇場に於いてで、2回目は2011年7月新橋演舞場、
同年11月博多座で上演されました。

それ以前にも歌右衛門丈や初代水谷八重子さんで上演された事がございますが
お話はそれぞれ全く違うようです。


国立劇場で上演されました『楊貴妃』は私、客席から見せて頂きました。

そしてこの時、獅童さんの勤められた戦況を伝える急使を新橋演舞場では
私と成田屋の新十郎さんとで勤めさせて頂きました。

 

博多座の時はまた別の新たなお役で小隊長 周として出演させて頂きました。

 

福助さん お体を壊されなかったら玉三郎さんの舞踊と双璧で
この『楊貴妃』で活躍されていただろうな~と 拝察いたします。


姓は楊 名は玉環は玄宗皇帝の寵愛姫として貴妃となり 贅沢三昧を極めます。
しかし それが災いして反乱がおこり最後は高力士によって、
死を選ばされてしまいます。


高力士は国立劇場の時は三津五郎(当時八十助)さん 
新橋演舞場 博多座の時は海老蔵さんでした。

 

楊貴妃は歌舞伎のお芝居はもちろんの事 台詞の中にもよく登場致します。

玄宗皇帝との二人居る事で「天にあらば比翼の鳥 地にあらば連理の枝」
常に二人と云う事ですね。 

 

「京鹿子娘道成寺」では、(舞尽くし)の中で この二人の舞を比翼の舞と例えます。

 


日本の小野小町 クレオパトラと並び 世界三大美人と評される楊貴妃、

ですが小野小町が入っているのは日本だけで 他の場所では 
その地のそれぞれの美人が入っているとか?(笑)

 

そりゃそうですよね。 小野小町 私でもよく知りません
まして世界の人が知っている訳がないでしょう?(笑)

正面を向いた絵が少ないと云うので 本当にどんなお顔をしているのか?

そのあたりの謎の美女感も より美人に思わせているのでしょう。

(まあ、当時の絵で本当にその顔が 本人に似ているのかはさておき)

 

小野小町と云えば、『関の扉』『六歌仙』が思い浮かびます。

さて、クレオパトラは・・・(笑)

さすがに歌舞伎ではなく、宝塚の作品くらいしかありませんでしょうか。

 

でもクレオパトラも楊貴妃も 最後に非業な死を遂げているのは
やはり美人薄命でしょうか?


世界の歴史を動かす美人 一度お会いしたいものです(笑)