江戸と云う町が東京と名を変えて、はや、152年ですか?


1868年9月3日(旧暦、慶応4年7月17日)に東京となりました。

その江戸を作ったのがご存知、徳川家康。


小田原城の北条一族を討伐して 豊臣秀吉から関東移封を命ぜられたのが
1590年(天正18年)それからですと、278年の江戸の歴史があります
(江戸開幕は1603年)

 

ですから東京の歴史より、江戸の歴史の方がまだ 倍近く長い訳ですね(笑)

その家康ですが、皆様もご存知の通り 若い頃は波乱万丈の生き方をしております。



歌舞伎の中に「築山殿始末」と云う演目がございます。
もちろん上演されているのは歌舞伎だけでなく、
色んなお芝居や映画(反逆児)にもなっております。


築山殿と云うのは家康(松平元康時代)の若かりし頃の正室でして、
お互い12歳くらいで政略結婚をさせられた、今川義元の姪っ子とも云われております。

 

桶狭間の合戦で織田信長が今川義元を討ち 今川の人質を解かれた家康は
本来の居城 岡崎城へと入ります。

 

その後、義元の子 今川氏真も滅び 家康は信長と同盟を結ぶために
築山殿との子、松平信康と信長の長女 徳姫と婚姻を結びます。


しかしこの徳姫が曲者でして、男子を授からなかった故に その後不仲となった
義母築山殿と夫信康をある事無い事、嫌がらせのように悉く信長に密告致します。


その内容は、築山殿が家康の家来と密通しているとか、
信康が武田側と通じているとか・・・。

 

これを信じて激怒した信長は家康に命じて、築山殿と信康に死罪を申し渡します。

 

いくら弁解しても聞き入れてもらえぬ家康は窮地を迎え、
家来に築山殿の殺害を命じ、子の信康には二股城に於いての切腹を申し付けます。

信康享年21歳。



この後 家康は生涯、正室を娶る事はなかったのです。

その築山殿が暗殺されたのが 天正7年8月29日の今日です。


歌舞伎でも時々上演される『築山殿始末』
もし機会がございましたら、ご観劇をお考えなされては如何でしょうか?