本日、昼過ぎ歌舞伎座の3部が休演とのニュースが出ました。
関係者に微熱があったとか?

 

まだ今後の事はわかりませんが、大事無い事を祈ります。

今月は役者のみならず、スタッフも完全入れ替えと云う事で
4部はそのまま公演されるとか。

無事に舞台ができます事、歌舞伎関係者一同の心からの
祈りであると思います。

 

さて、今日のYahooニュースで、面白い記事を見つけました。
面白いと云うより 興味深いと云った方が適切かも知れません

東京の地理にあまり詳しくない方は ちょっとわかりにくいかも知れませんが、


よく云われる事に「千葉にあるのに東京ディズニー・ランド」
「品川駅なのにあるのは港区」「目黒駅は品川区」等々(笑)

私の地元のJR板橋駅も、駅自体が板橋区と北区と豊島区に
跨っている珍しい駅です(笑)


地域のずれと云う様なコラムで「荒川の流れていない荒川区」
と云うのがございました。


この記事を読んだ時、その事よりも大がかりな当時の大工事に
感嘆しました。


その昔 大阪の大和川も、奈良時代の頃から度々の氾濫に悩まされ
788年、和気清麻呂が北に流れていた大和川を 大阪湾への流れ変更の
大工事に着手していたそうですが 費用と日数がかかり過ぎて
残念ながら成功には至りませんでした。
まあ・・・奈良時代ですから・・・

そう云う発想と着手が行われていたと云うこと自体に驚きます。


成功したのは江戸時代になってから・・・。


これと同じく 江戸でも荒川と利根川の流れ変更の大工事が
行われていたのです。


当時の利根川は上流から今の東京湾(江戸湾)に流れていて
荒川も今より東に流れ 利根川と合流していたそうです。


それを徳川家康が北の敵から関東を守るためと 水害から守り
江戸を治めるために 荒川と利根川を切り離し 利根川は銚子方面の太平洋へと流れを変え
荒川は入間川や隅田川とに合流させて 今の隅田川となったのだそうです。


この利根川の流れを変える工事を命じられたのが関東郡代の伊奈忠次、
そして子の忠治、孫の忠克と三代にわたってこの工事を受け持ちます。


なんか読んでいるだけでも 気の遠くなる様なお話ですが、
実際に江戸時代に行われていたのですね。

江戸時代が背景の時代小説には 荒川からの支流、隅田川のことをよく
大川と云う表現で出て参ります。

 

それでも 明治に入ってからも流れの弱い隅田川は 大雨による洪水に悩まされ 
大正13年北区の岩淵水門(赤水門)が作られ 人工的な放水路としての
川が作られ それが荒川と云う名になったそうです。

ややこしいお話ですいません


明治に入って近代化されてからの治水工事はわかりますが、
江戸時代に人工的に川の流れを変える大工事。


当時の人々の努力がわかります。


昭和7年に荒川区が誕生しますが、1965年(昭和40年)に河川法が改正され
人工河川だった放水路が「荒川」とされ、岩淵水門から下流にある
本来の荒川の正式名称は「隅田川」となったそうです。

これで、荒川区には荒川が流れていないと云う結果になったそうですね。


ま、板橋区の名を冠した板橋駅の一部が北区や豊島区にあろうが 
東京ディズニー・ランドが千葉にあろうが いっこうにかまいせんが、
江戸時代に利根川を太平洋に、荒川を隅田川と合流させたと云う そんな大工事を
二代、三代にわたって 受け持ち 治水工事を行なった奉行がたくさん居た
と云う事に驚きました。


川は大雨などで氾濫すると 大洪水となって近くの人々に
大きな影響を及ぼす事は、記憶に新しいです。

その被害を最小限にとどめるために 江戸時代ですら行われていた
川の流れを変える大作業。

なぜそれが今 できないのでしょうか?

もし、現在それを行うとすれば どれくらいの日数 費用が掛かる事でしょうか?


昔の人は本当に偉大ですね。

この記事を読んでそんな事を思いました。