1979年(昭和54年)2月に猿翁旦那は新しい試みをされました。


梅田コマ劇場での『不死鳥よ波濤を越えて(平家物語)』

 

これはコマ・グランド歌舞伎としてスーパー歌舞伎の前身のようなもの。

平知盛が壇ノ浦で討ち死にをせず、大陸へ渡り金の国の客分となり
日本に帰って弔い合戦を起こそうと致しますが 志半ばで息絶え 
不死鳥となって日本へ帰ると云う『ヤマトタケル』のようなお話(笑)


この作品の大ヒットによってここから計4回、梅田コマ劇場で
実験的なグランド歌舞伎が上演されておりました。



今日のお話はこのお芝居のお話ではなく この4回の公演の最中に
結成されました野球チーム、「モンキーズ」

 

実は当時わりと、歌舞伎の一門ごとに野球チームを
持っている方が多かったのです。

さすがにチーム名は忘れましたが 仁左衛門さんのチーム(アストロズ?)
また 勘三郎さんのチーム 他 色々と対戦したものです。

 

そこで猿翁旦那もチームを結成して下さいました。

 

チームを作るにあたって 猿翁旦那からの訓戒、

1 絶対怪我をしない事!
2 次の日に疲れを残さない事
3 本業に支障をきたさない事 等々


この結成したのがグランド歌舞伎のどの公演か? 忘れましたが
中日頃に1日お休みがあり コマ劇場の選抜チームと
野球グランドを借りての試合がありました。

 

モンキーズ結成試合。

 

名誉監督 猿翁旦那
監督(名前だけ) 段猿さん

 

選手に段四郎さん 田之助さん 歌六さん他 私たち名題下の若手で
ユニホームはヤンキースをもじっての縦じまのモンキーズ(笑)

私も途中交代で 背番号9 ショートを守っておりました。

 

この結成時の8mmの動画もあるのですが ちょっとピンボケが多く
動画での掲載は苦しいかな?と コマ画像で掲載いたします。

 

 

 

 

 

結成を祝っての1番バッターは1打席だけの猿翁旦那、

 

 

 

 


残念ながら塁に出る事は出来ませんでしたが・・・
珍しい猿翁旦那のユニホーム姿でしょ?(笑)

 

これも珍しい田之助さんのバッター姿

 


試合はどう云う訳かモンキーズのペースで進みましたが
最終回、(草野球なので5回まで) ピッチャー田之助さんの大ピンチ

 


コマ・チームの大反撃を受けて場面はノーアウト満塁、
迎えたバッターはコマの強打者(笑)


ここで若手当時のキャッチャーの市川龍蔵さんが すごいファインプレー。

あたり損ねて前に落ちたボールがフェアで それを龍蔵さん捕球して
ホームベースを踏み セカンドへ投げてアウト セカンドからファーストへ
アウトをとり なんとトリプル・プレー成立でいきなり試合終了(笑)


云え、うそではありません 全部事実
モンキーズの結成試合は衝撃的な記念すべき幕切れだったのです(笑)


みんなで監督の段猿さんを胴上げして 試合は終わりました。

 

その後も数回、対外試合や紅白試合もありましたが、
私たちも年齢を重ねるにあたって 自然的になくなってしまいましたね。


どんなに忙しくても 楽しみを忘れない いい思い出 いい時代でした(笑)