7月と云いますと毎年、暑い、熱い歌舞伎座公演が恒例の月ですよね。
だいたい13日か14日が中日でした。

 

私も猿翁旦那の7月奮闘公演には何年携わった事でしょうか?(笑)

新しい歌舞伎座になってから7月の暑さも 楽屋や舞台では快適な
状態に変わりましたが、前歌舞伎座の暑さったらなかったですね。

 


名題に昇進してからの7月は、おもだかや一門のお芝居と云う事もあって
私も2階の楽屋に入れてもらえるようになりましたが、名題下の頃は
3階の大部屋で多人数 さらに旧式の冷房機は全く利かず 
女形や立ち回りを終えて楽屋に帰って来ても 全く汗が引きませんでした。

小さな扇風機が各化粧前にずら~っと並んでおりました(笑)


私が大部屋の頃は立ち役 女形共に40人から~50人くらいが
入っていたでしょうか?


出番の違いであとからあとからひっきりなしに出入りがあるので 

右左の履物が 揃っている事なぞまずなく 片方ずつあっちへ行ったり 
こっちに裏返って居たり・・・(笑) 

 

50足くらいの部屋履きが入口にひっくり返ってあり どれが自分のやら
判別するのにも暫しかかりました(笑)

 

踏みつぶされるのが常で いい草履なんて使えなかった・・・。

 

たとえ、揃えたとしても、その瞬間に誰かが駆け込んで来て 駆けだして行きますので

もう誰もそんな事しなくなっておりました(笑)

 


楽屋もコの字型に化粧前が並んでおり、入口から新参者が化粧前を並べ
一番奥が大先輩のご年配の化粧前。

 

さすがにこの奥には 私も化粧前を出したことがございませんでした。

と云いますのは、コの字型の入って下の部分 底辺は新参者の場所で 
私もここから始まりました。

 

歌舞伎座の出演が多くなるにつけ、後輩が増えちょっとずつ奥に行けます。

コの字の縦の下半分は女形さんの化粧前 上半分は中堅の名題下、
そして上棒の右側辺りで 大体みんな名題昇進して大部屋から出て行きます。

 

つまり大部屋の一番奥は名題をあきらめた古参の役者さんが
ず~っと居られるので そこまで行く事がないのです。

なんか江戸時代の牢屋みたいでしょう?(笑)


現在の歌舞伎座の大部屋はもうそう云った印象はないでしょうが、
初めて前歌舞伎座の大部屋に入った時は 緊張や恐怖?
と 云う訳ではないのですが ひとくせやふたくせもある人たちばかりで 
なんか異様な楽屋の雰囲気でしたね(笑)

ま、簡単に云いますと、怖かったのです。

 

私も後年は、若い人たちからそう見られていたのかな?

ですから、御曹司や幹部の子供さんたちは ほとんど大部屋に来た事はありません
誰に何をされるかわからないから・・・(笑)

 

唯一、わりと遊びに来ていたのが子供の頃の猿之助さん

前にも書きましたが誰とは云いませんが、名題下にも悪い奴がいて(笑)
「一緒に遊ぼう」とか云ってボテ(衣裳を入れる箱)に閉じ込めて
3階の階段から2階へ転がした奴もおりました。

 

後年「あの時の事 覚えておられますか?」と聞きましたら
「誰と誰かは しっかり覚えてる」・・・と(笑) ま、時効でしょうが。

 

私もまあ・・・傍観者と云う名の共犯者のひとりでしょうか?

この事を「覚えてますか?」と聞く時点で 共犯者だと白状してますね(笑)

 

「いつか覚えておけよ」と云う感じで 怒って?はおりましたが、

決して泣いてはおられず、その後も 度々遊びに来られてました。


今のおもだかや一門の座頭は猿之助さん(笑)
今はその人の下で 働いている訳ですよね。


いつかはこうなるとは思っておりましたが・・・。

例えばもしも 勘九郎さん 七之助さん 團子さんや染五郎さんの小さい頃に 
そんな事をするような名題下の強者が 今は居るでしょうか?

 

やった事が良いか悪いかは別として、昔の歌舞伎座は、風情と情緒と共に 
そう云った事もひっくるめて なんか自然な気持ちで接して
許されるような劇場でしたね。


ステイホームの毎日 もう30~40年前くらいの
7月の暑い歌舞伎座の楽屋が懐かしく思い出されます。