昨日の夜 久しぶりに仁左衛門さんの弁慶の『勧進帳』を
最後まで見せて頂きました。

富樫は勧進帳が、お家芸である高麗屋、松本幸四郎さん
 

『勧進帳』は大変よく出る狂言で 舞台の安宅の関にかけてまして
「またかのせき」か! と楽屋うちでは云われております(笑)

 

それだけ人気もあり、長唄も名曲で 見どころもたくさんあり
完成度の高い 出来上がった演目でもあります。

 

歌舞伎の醍醐味である、演目を見るのではなく
弁慶や富樫を勤める役者を見る、という楽しみ方もある狂言ですので
その役者の組み合わせだけ演目数があり それは無限大ですね(笑)


仁左衛門さんはどちらかと云うと口跡も素晴らしい富樫役者ですが
弁慶もずいぶん勤められて居られます。


 

私が初めて仁左衛門さんの『勧進帳』の弁慶を見ましたのは
1971年8月南座での松嶋屋ご三兄弟と玉三郎さんの『花形歌舞伎』でした。
 
当然、孝夫時代で 仁左衛門さん27歳の若さでした(笑)
ちなみに私は19歳(笑)


富樫は我當さん 義経は秀太郎さんと云う 三兄弟での顔合わせ。
南座の狭い空間でしたからすごく迫力がありました(笑)
今でも鮮明に覚えております。



一方、私が初めて生の『勧進帳』を見ましたのは、13歳の時で
1965年4月大阪新歌舞伎座での七代目幸四郎さんの追善興行。

十一代目團十郎さん 八代目幸四郎(初代白鸚)さん 二代目松緑さん
お三人で弁慶と富樫が毎日交代、義経は梅幸さんでした。


ある意味、演劇界でも語り継がれる興行でした。



この次の月の5月御園座で、私は『勧進帳』の前の演目、初代白鸚さんの
『名和長年』に出演させて頂くために、毎日 白鸚旦那の楽屋へ伺い
その演目を見ており そのまま『勧進帳』もつづけて 毎日見せて頂きました。

これは夢の様な 至福の眼福でしたね(笑)

ただで見せていただき、今から思えばものすごく幸せな体験でした。


 

それ以来 どれだけ『勧進帳』に携わって参りましたでしょうか?

 

初めて『勧進帳』に出演させて頂いたのが1990年6月国立劇場で
段四郎さんの弁慶 歌六さんの富樫で私は番卒の2番目 兵内でした。

初出演は緊張しましたね(笑)

 

一番緊張しました時は2000年12月 歌舞伎座での『勧進帳』で
團十郎さんの弁慶 猿翁旦那の富樫左衛門 芝翫さんの義経。

 

この時の大詰め 弁慶とのさかずき事はさすがに團十郎さんですから
緊張に緊張のしっぱなし・・・(笑)

 

お稽古の時に「この場面はお狂言ですから、もっとおおらかに・・・。」と
ご指導下さいましたが、それができれば・・・(笑)苦労はしません(笑)

いい思い出です(笑)

 

そして1993年8月 第1回右近の会(右團次さん)の時に 
初めて四天王 片岡八郎を勤めさせて頂き その後
1996年21世紀歌舞伎組の巡業公演で 片岡八郎を

本役として1ヶ月 昼夜2回 勤めさせて頂きました。

 

その後 何回か四天王 片岡八郎は勤めさせて頂きました。

今日の写真はその私の『勧進帳』の四天王 片岡八郎です。


 



 
 
旧歌舞伎座の段四郎さんのお部屋の前で撮らせて頂いた写真です。

これももう30年前くらいですね(笑)

 

昨日 仁左衛門さんの『勧進帳』の弁慶を見せて頂き、
大病を患われたのにもかかわらず 失礼ながらお年も全然感じさせず
これまでお元気な弁慶を拝見できるとは 嬉しい限りでした。

 

まさに歌舞伎と云う芸術の宝の方ですね。